丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)

2025.08.30[ 神社 ]

地域一の高台にお祀りされている神社 丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)

地域一の高台にお祀りされている「丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)」。

創建年代や御由緒等、詳細は残念ながらわかりませんでしたが、社名の「丸山」はこの辺りの字名のようです。

最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「踊場」駅。

丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)写真

神社への入口。送電線の鉄塔の脇にあります。

丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)写真

鳥居の前から。

丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)写真

鳥居の扁額。

丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)写真

境内の狛犬。

丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)写真

境内にはふたつの石祠があります。

丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)写真

神社の奥にある斜面を少し下ったところにあるのが、こちらの『ビルマ方面戦没者諸英霊慰霊碑』。脇に『亡き戦友へ』と刻まれた石碑がありましたので、その文面を以下に起こします。

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先の太平洋戦争に於て灼熱はげしい南海の果て、あるいは密林の中、親を離れ妻子を残して戦場におもむき、若き命を散華されたことはまことに痛恨のきわみである。
国のため身を捧げた友の歩んだ道は遠く険しかった。
今日、故国に生きて立直った国の礎となっている御霊に限りない敬愛を覚えるものである。
今、我等はひたすら平和憲法のもと国民福祉の向上、世界平和のために努力しつゝ、こゝに不変の石に心をこめて亡き友よ永遠に安かれと祈る。

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丸山神社(横浜市戸塚区矢部町)写真

こちらは、丸山供養碑。石碑には以下のように刻まれています。

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丸山供養碑

鎌倉時代のころ、三浦氏の一族矢部太郎為行は山内庄矢部郷を領し、上矢部字堀ノ内に居館を設け、没後その子義郷が伝領していましたが、義郷は宝治合戦のおり三浦泰村に味方したため、宝治元年(一二四七)六月九日上矢部字九白谷で討死、同月二十日に将軍藤原頼嗣は谷部郷を鶴岡八幡宮に寄進し、八幡宮領になりました。
谷部郷は上矢部から谷矢部にかけての地域の呼称で、応永のころ(一三九四ー一四二七)谷矢部は竹下小次郎某が知行し、家臣の佐島図書、風早次郎、坂本小左衛門らに治めさせていたということです。
配郷は谷矢部の中心地として、曽つてはここに佐島図書が勧請した神明社が鎮座していましたが、神明社は天保十四年(一八四三)街山八幡社に合祀されました。
古くから字丸山にありました阿弥陀三尊の種字をもつ、嘉暦二年(一三二七)十一月在銘の板碑は、被供養者および建立者は明らかでありませんが、当地の所領者の一人であったと思われます。
このたび当地の開発にあたり当地所有者である河原家一族が心を一つにし、あらたに供養塔を建立し、その昔をしのびつつ、諸霊を供養し、永久に保存するものであります。

撰文 大橋俊雄

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横浜市戸塚区矢部町

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