天王宮八雲神社(府中市分梅町)
2025.02.23[ 神社 ]
700年以上前からお祀りされてきた天王さま「天王宮八雲神社(府中市分梅町)」。
創建年代は不明ですが、社地内に1319年(元応元年)の石板碑があること等から、700年以上前から鎮座していたのではないかと考えられています。江戸時代までは天王宮と呼ばれていましたが、明治期の神仏分離により八雲神社と改称されました。
境内にある御由緒板『天王宮八雲神社「天王さま」の歴史』には、以下のように記されています。
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当天王宮八雲神社は、古くは天王宮と称され祀られて居ました。
明治初期の神仏分離令により当祭神は、神仏習合とみなされて八雲神社として改号されましたが、今日も分梅(分陪、分倍、分配)地域の鎮守様として多くの方達の心の拠り所として慕われ祀られてきております。
天王宮の祭神は牛頭天王、八雲神社の祭神は素盞鳴尊でありますが合祀されております。
当社の創設年は未詳であるものの、分梅通り(陣街道、古鎌倉街道)に面した境内の東北角(社地)には、元応元年(一三一九年)の木に抱かれた石板碑、享保九年九月(一七二三年)に祭神像、安永七年(一七七八年)に石造の鳥居等が現存しております。
今より遡る事約七〇〇年以前には、社は存在していたと思われています。
現本殿は、安政四年三月(一八五七年)鎮守御宮請負書に依りますと、但し三尺五寸社、大流れ造り、腰四手先組、柱上三手先組、巨細絵図面の通、引渡しは万延元年十二月(一八六〇年)と記されておりますが、今回の修復(二〇〇七年)で文久三年三月(一八六七年)に完成したことが新に判明しました。
造りの概略は、腰に組物が付き屋根は、千鳥破風と唐破風の付いた一間社流れ造りで壁面全てに彫り物が刻まれた総欅造りです。神社の配置は、本殿を覆屋で囲い前面に、拝殿を置き、間に瑞垣で仕切られた幣の間を配置した形式となっています。例年の祭祀「天王祭」は、かっては春(旧暦五月二十五日に斉行されて居ました)が近年では、七月十四、十五日に近い土、日曜日に神興、太鼓の巡行と共に斉行されています。
神社祈願は、疫病除け、縁結び、安産、子孫繁栄、無病息災、家内安全等の願いを朝夕礼ともに尽くされて来たと伝えられております。
この様に歴史を刻み先人達により残された貴重な遺産を守り多くの崇敬者の信仰心とも相俟って先人の遺徳を子々孫々に亘り引き継ぎ、末永く祭祀を斉行しこれからも多くの人々の拠り所として皆様と共に崇敬の誠を尽くしてまいりたいと思います。
また同境内にある稲荷神社も天王宮と同じく古くより祀られております。
祭神は稲荷神(宇迦之魂神)この祭神は、農業、穀物の神様で当分梅もほとんどの家が農業を中心とした地域であった事から祀られて来たと思われております。
当社の創設年は未評でありますが、覆屋は、平成四年九月に改築しました。
神社祈願は、五穀豊穣であります。
例年の祭祀は、かっては二月最初の午の日に斉行されて居ました、近年ではその日に近い土、日の何れかの日に斉行されています。
又、九月一日には台風の風害から作物を守る為「風祭」と呼ばれる祭が斉行されて居ましたが、近年では専業農家も少なくなり現在、斉行は中断されております。
さらに、神社境内の奥には、高倉古墳群の一つ天王塚古墳(六世紀後期)が未調査のまま唯一現存の古墳として残されております。
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現在の御祭神は、素盞嗚命。元々の御祭神である牛頭天王も合祀されているとのこと。
現在は谷保天満宮の兼務社となっているようです。
最寄駅は、JR南武線・京王電鉄京王線「分倍河原」駅。徒歩約5分ほど。
神社外観。ぱっと見公園のように思えます。
東側に入口があります。
参道からの社殿方面の眺め。
拝殿前の鳥居。
拝殿。
参道にある御由緒板。
境内社の稲荷社。
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MAP
東京都府中市分梅町1丁目18−18−5