目白天祖神社(豊島区目白)
2024.11.29[ 神社 ]
旧長崎村大和田・荒井・椎名町の鎮守としてお祀りされていた「目白天祖神社(豊島区目白)」。
江戸時代後期の1810年(文政11年)の創建と伝わっています。長崎村大和田・荒井・椎名町の鎮守としてお祀りされていました。しかし先の戦災により焼失。1967年(昭和42年)に再建されました。
境内にある『記念碑』と刻まれた石碑には、以下のように記されています。
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天祖神社の創建は約二百年前である 境内の手洗鉢の刻字から文政十一年(一八一〇年)頃と証明される 又神社の規模は手洗鉢からみても相当なものと推測される 氏子は江戸時代から大荒椎(オオアラシ)と呼ばれた大和田、荒井、椎名町の地域の住民で部落の鎮守称とされ、折々秋祭り等も共同で行われた 田と畑の平地の中の茅葺き農家の人々の収穫の祈りと喜びを捧げる神社であった 近年は地域の名称も南長崎三丁目北部 南長崎二丁目 南長崎一丁目 目白四丁目 目白五丁目と呼ばれる 最近五十年は神社も激動する時代の直撃を受け数奇な運命を辿った 昭和二十年春の戦災により全焼廃墟となり終戦を迎えた 戦後世相も生活第一で神社軽視の風潮が強く多難の時が続くが次第に生活が安定すると共に 郷土見直しの声が起きた 昭和四十二年に明治百年を記念して氏子有志の非常なる努力で 社殿境内の復興ができた そして平成八年山手通りの拡幅による社殿撤去、境内削減の状態から二年後、平成十年十一月ここに新しい天祖神社が誕生した これは長崎神社宮司、氏子総代及地元有志各位の熱意ある奉仕と努力で完成したものである 昔の人は社殿一町の豊かさを知り、鎮守の森で町の人々の心の豊かさを知ったときく 私達も豊かな心で新しい鎮守の森を創りたい やがて迎える二十一世紀のために。
平成十年十一月吉日
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御祭神は、天照皇大神。
現在は長崎神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、西武鉄道池袋線「椎名町」駅。徒歩で約5分ほど。私はJR山手線「目白」駅から歩きましたが、徒歩約15分ほどでした。
山手通り側にある正面の鳥居。西側にあるのですが、おそらく山手通りの拡幅工事に伴う境内縮小の際に造られたものだと思います。
拝殿。
境内社。
境内の狛犬。
御由緒の刻まれた石碑。
MAP
東京都豊島区目白5丁目7−14