根岸弁財天(寒川町宮山)
2024.10.15[ 神社 ]
江戸時代前期創建・湧水池にお祀りされた弁財天
根岸弁財天(寒川町宮山)
寒川町・宮山緑地内の池にお祀りされている「根岸弁財天(寒川町宮山)」。
江戸時代前期に、この地を知行していた旗本・杉浦氏により創建されたのが起源と云います。現存の石宮は明治期に、また弁財天の石像は1986年(昭和61年)に造られました。現在池の周囲は「宮山緑地」として整備されています。
『根岸弁財天由来』と書かれた案内板には、以下のように記されています。
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根岸弁天池は、寒川町のほぼ中央にあって、その発祥の年代は定かではないが土地の古老より伝え聞くところによれば、天正年間というから今から約五百年前と推察される。
当時の湧き水の豊富なこの池は、これより下流新橋地区(現在の役場庁舎附近)までの水田の用水として永年利用されていた。
徳川の代に入り元和六年(一、六一六)よりこのあたり宮山村千七百七拾七石を知行していた旗本杉浦正次氏により池の整備と弁財天を造ったのが始まりと云うことで、以来明治年代杉浦大八郎氏まで杉浦氏の下に在った。明治二十二年に石造りの社が建立された。昭和六十年に寒川町より公園緑地として整備される機会に有志合寄り根岸町内住民を中心に昭和六十一年三月弁財天石像を建立して古き良き時代を忍びつつ、地域住民の連帯と協調の輪を広げるべくここに由来を記すものである。
昭和六十二年六月吉日
根岸弁財天保存会
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最寄駅は、JR相模線「寒川」駅。徒歩約15分ほどでしょうか。
宮山緑地の入口。
左手にある池の中にお祀りされています。
池の畔にある鳥居。
御由緒板。
弁天橋の前からの眺め。
弁天像、白蛇像、そして石宮。
宮山緑地の奥からの眺め。
MAP
神奈川県高座郡寒川町宮山