日野の渡し跡(立川市錦町)
2024.08.29[ 史跡・公園等 ]
甲州街道に設けられた、多摩川の渡しのひとつ
日野の渡し跡(立川市錦町)
甲州街道に設けられた、多摩川の渡しのひとつ「日野の渡し跡(立川市錦町)」。
甲州街道は、徳川家康によって整備された「五街道」のひとつで、万一江戸城が陥落した時に甲府(甲斐国)まで避難することを想定して造られたと云います。「日野の渡し」の成立時期は不明ですが、この街道整備時に現在地に移されたのではないかと思われます。
『日野の渡し碑』と刻まれている石碑には、以下のように記されています。
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日野の渡しの出来たのは
いつの頃だか誰も知らない
江戸時代中期貞享年間
この地に渡しが移されたことは
確かであらう
かつて信濃甲斐相模への人々は
この渡しを過ぎると
遠く異境に来たと思い
江戸に向かう人々は
江戸に着いたと思ったという
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石碑は旧甲州街道沿い・錦町下水処理場の脇に設置されています。
最寄駅は、多摩都市モノレール「柴崎体育館」駅。JR各線「立川」駅からも徒歩圏内です。
『日野の渡し碑』。
『多摩川の渡し跡なるわが住まひ河童ども招いて酒酌まむかな』という唄が刻まれています。
こちらには『日野の渡し場』と書かれています。
その向かいにも、馬頭観音等の石塔があります。
河原まで行ってみたのですが、この辺りは現在フットサル場等のある「立川公園新堤防運動広場」となっており、その先までいかないと川を見ることはできません。
MAP
東京都立川市錦町5丁目20