阿佐ヶ谷神明宮(杉並区阿佐谷北)
2024.07.10[ 神社 ]
旧阿佐ヶ谷村の鎮守神「阿佐ヶ谷神明宮(杉並区阿佐谷北)」。
創建年代は不明ですが、その昔、日本武尊が東征を終えて帰る途中にこの地で休息し、後に彼を慕った村人によって奉斎されたのが起源と伝わっています。その後12世紀末の建久年間(1190~1198)に土豪横井(横川とも)兵部が伊勢神宮に参拝した際に神の霊示を受け、宮川の霊石を持ち帰り神社に安置したと云い、この霊石は今も御神体として御本殿にあるのだそう。江戸時代には阿佐ヶ谷村の鎮守としてお祀りされていました。なお、かつての社地は現在の杉森中学校付近でした。
社号については、江戸時代までは「神明宮」としていましたが明治期に「天祖神社」に改称、その後長らくそのままでしたが、1990年(平成2年)に改めて旧社号である「神明宮」に改称されたそうです。
杉並区教育委員会による案内板には、以下のように記されています。
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当社は旧阿佐ヶ谷村の鎮守で、天照大御神を中心として古事記で三貴子と呼ばれる月読尊、須佐之男尊の三柱の神を祀っています。
天保7(1836)年に刊行された「江戸名所図会」によると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、のちに尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称された現・阿佐谷北五丁目付近)に一社を設けたのが当宮の始まりといわれています。
建久年間(1190~1198)には土豪横井兵部(一説には横川)が伊勢神宮に参拝した折、神の霊示をうけ、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられています。その後江戸時代中頃に現在地に移ったといわれています。
社は村外地域からの仰も篤く、「内藤新宿仲下旅籠屋中 仲下茶屋中」の文字が刻まれた文政 11(1828)年の銅製の三本御幣が奉納されています。
秋の例大祭に能楽殿で奉納される「阿佐ヶ谷囃子」(杉並区登録無形民俗文化財)は、江戸時代末期からの伝統があり、区内では早くに伝えられた囃子です。ここから井草囃子をはじめ、鷺宮(中野区)、戸塚(新宿区)などに流布していったといわれています。
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現在の御祭神は、主祭神に天照大御神、配祀神として月読命・須佐之男命となっています(※東京都神社庁サイト内では、豊受大神も加えられています)。あれ?日本武尊は何処へ。。
最寄駅は、JR中央本線「阿佐ヶ谷」駅。徒歩約2分ほど。
正面の鳥居。とても大きいです。
境内の様子。
神門。
拝殿。
境内社の天神社。
境内社の猿田彦神社。
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MAP
東京都杉並区阿佐谷北1丁目25−5