白旗神社(藤沢市藤沢)
2024.06.26[ 神社 ]
寒川比古命と源義経を主祭神として祀る「白旗神社(藤沢市藤沢)」。
創建年代は不明ですが、相模国一宮である寒川神社の御祭神・寒川比古命を祀り、長く「寒川神社」と称していました。鎌倉時代の1249年(宝治3年)に源義経を合祀し、その後1752年(宝暦2年)の社殿再建後に「白旗神社」を称するようになったと云います。江戸時代には藤沢宿坂戸町の総鎮守としてお祀りされていました。
境内に掲げられている『由緒』には、以下のように記されています。
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古くは相模一の宮の寒川比古命の御分霊を祀って、寒川神社とよばれていた。しかし、創立年代はくわしくはわからない。
鎌倉幕府によって記録された『吾妻鏡』によると、源義経は兄頼朝の勘気をうけ、文治五年(一一八九)閏四月三十日奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害されたその首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られた。高平は、腰越の宿に着き、そこで和田義盛・梶原景時によって首実検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時におくられ、首実検がなされ、夜の間に二つの首は、此の神社に飛んできたという。このことを鎌倉(頼朝)に伝えると、白旗明神として此の神社に祀るようにとのことで、義経公を御祭神とし、のちに白旗神社とよばれるようになった。弁慶の首は八王子社として祀られた。
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御祭神は、寒川比古命・源義释公。配神として、天照皇大神・大国主命・大山祇命・国狭槌命。
最寄駅は、小田急江ノ島線「藤沢本町」駅。徒歩約5分ほど。
神社外観。
正面の鳥居。「日本初のグラスファイバー製の鳥居」なのだそう。
『源義経公武蔵坊弁慶公之像』。
拝殿へと登る石段。左に御由緒板があります。
境内の石塔群。
境内社。
最初の石段を登った段にある『源義経公鎮霊碑』。案内板には、以下のように記されています。
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文治五年(1189年)閨四月三十日、奥州平泉、衣川の高館で、藤原泰衡に襲撃された義経公は自害し悲壮な最期を遂げた。 その御骸は宮城県栗原郡栗駒町の御葬礼所に葬られ、また一方の御首は奥州路を経て、同年六月十三日、腰越の浦の首実検後に捨てられたが、潮に逆流し白旗神社の近くに流れつき、藤沢の里人により洗い清められて葬られたと語り伝えられる。
本年、源義経公没後八百十年を記念し、両地有志の方々により「御骸」と「御首」の霊を合わせ祀る鎮霊祭を斎行し、兹に源義経公鎮霊碑を建立する。
平成十一年六月十三日
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拝殿はその上にあります。
拝殿。
おそらく合祀された神社の銘を刻んだ石碑。
境内社の白旗弁財天。
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MAP
神奈川県藤沢市藤沢2丁目4−7