落合白山神社(多摩市落合)

2024.02.21[ 神社 ]

旧落合村の鎮守・現在は多摩ニュータウンの守り神 落合白山神社(多摩市落合)

旧落合村の鎮守・現在は多摩ニュータウンの守り神「落合白山神社(多摩市落合)」。

江戸時代初期の1618年(元和4年)に加賀・白山大権現より御分霊を勧請し創建されたと伝わっていますが、昭和になってから境内で発見された木造の神像は平安時代のものだと推定され、江戸以前から祠があったとも云われています。江戸時代には落合村の鎮守として祀られていました。当初は「白山妙理権現」と称していましたが、神仏分離により現在の「白山神社」に改称。明治後期には村内の天神社を合祀しました(後に青木葉天満宮として還座)。

鳥居の脇にある御由緒板には、以下のように記されています。

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当白山神社創建の年代は詳でありませんが、御神体として祀られている木造の神像七軀は遠く平安時代(一一八〇)に遡ると評されて居ります。
古い年代より神前において五穀豊穣、家運の隆昌・子孫の繁栄が祈願されていたものであることが理解されます。
近代に入りましては江戸時代の初期元和四年(一六一八)霜月十日と録された当社の棟札には柚木領落合村を支配していた八王子代官小宮山八兵衛助為が大旦那となって東福寺別当圓能に村人が助力して加賀・白山大権現の神霊を勧請した次第が明らかにされて居ります。
新編武蔵風土記稿に「古は社司蓮善坊と云山伏なりしが慶長の比、東福寺この地に移りしとぞ東福寺は昔上落合堀合堰と云所にありしといへり、今白山社の西に在り」と伝えて居ります。
唐木田・中組・山王下・青木葉・上ノ根を云う五字の鎮守として祀られて居ります。
この地は府中より鎌倉に通じる相模道に面した静かなたたずまいではありますが慶安(一六四八)年中に御朱印十石を賜わるなど歴史的意義を秘める神社であった訳です。
今回の造営に当りまして社殿は白山大権現の象徴である本殿・拝殿一体構造の権現造りです。
これはニュータウンと云う最新の景観に古い様式を巧に用いて神社の尊厳と祖先からの伝承を調和させようと意図したものです。
祭神はイザナギ・イザナミの二神である。

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現在の御祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命。

最寄駅は、小田急多摩線・京王電鉄相模原線・多摩モノレールの各「多摩センター」駅。徒歩約8〜10分ほど。

落合白山神社(多摩市落合)写真

東側からの神社外観。

落合白山神社(多摩市落合)写真

御由緒板。

落合白山神社(多摩市落合)写真

正面から。境内へと続く石段と社標。

落合白山神社(多摩市落合)写真

拝殿。

落合白山神社(多摩市落合)写真

拝殿前の狛犬。

落合白山神社(多摩市落合)写真

境内社。

落合白山神社(多摩市落合)写真

こちらは西側にある、多摩中央公園側の入口の鳥居。

MAP

東京都多摩市落合2丁目2−1

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