洲干弁天社本殿跡地(横浜市中区太田町)
2023.10.22[ 神社 ]
江戸時代まで洲干弁天社があった場所
洲干弁天社本殿跡地(横浜市中区太田町)
江戸時代まで洲干弁天社があった場所「洲干弁天社本殿跡地(横浜市中区太田町)」。
源頼朝が伊豆国・土肥にあった弁財天を勧請し創建されたという「洲干弁天社」。江戸時代には横濱村の鎮守としてお祀りされていました。かつては境内に瓢箪池と呼ばれた池があり、また横浜開港後は参道に出店が立ち並び大いに賑わったそうですが、1869年(明治2年)に羽衣町に移転、現在は「羽衣町厳島神社」となっています。
その本殿があった場所、というのがここ。現在はビルが建っており、往時を偲ばせるものと言えばここに通じる道の名称「弁天通り」と、大岡川にかかる「弁天橋」(といっても現在の橋は1976年完成)だけとなっています。
最寄駅は、横浜高速鉄道みなとみらい線「馬車道」駅、あるいは各線「桜木町」駅。
中央の通りが弁天通り。
道路脇にある弁天通りの案内板。
道路脇にある弁天通りの案内板その2。
かつて境内だった場所には現在マンションが。その1階にはコンビニが入っています。
MAP
神奈川県横浜市中区太田町6丁目73