須賀神社(横浜市泉区和泉中央南)
2023.08.16[ 神社 ]
泉親衡が築いた城館の守護神
須賀神社(横浜市泉区和泉中央南)
泉親衡が築いた城館の守護神として奉斎された「須賀神社(横浜市泉区和泉中央南)」。
鎌倉時代初期の1212年に、「泉親衡の乱」の首謀者・泉親衡がこの地に城館を築いた際にその守護神として奉斎したのが起源だと伝わっています。
境内に掲げられている『由緒』には、以下のように記されています。
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鎌倉時代(一二一二年)幕府執権北条義時を討つため信濃国の住人泉小次郎親衡が和田義盛の子義直と義重らと共に前将軍源頼家の子千寿を擁して旗揚げするため当社の東側山中に城を築いた。時同じく泉小次郎の部下青栗七郎の弟阿静坊安念法師が全国から同士を集める折京都の祇園社「八坂神社」に立ち寄り御分霊をこの地に持ち帰り泉小次郎の城の鎮守神として奉斎したのが当社の初めと伝えられる。
素戔嗚尊は朝鮮の蘇尸茂梨「牛頭」に渡ったことあって牛頭山に座す素戔嗚尊が奉られて牛頭天王とも言われ伝えられる。牛頭天王とは諸行無常と鳴ることで知られるインドの祇園精舎の鐘の守護神と云われ京都の八坂神社を祇園社と言われるのもここからである。
明治四年の神仏分離令に伴い祇園社は八坂神社にと当社もそれまでは天王社と称していたが須賀神社にと改められました。
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御祭神は、素戔嗚尊・櫛稲田姫命。
現在は中田の御霊神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、相模鉄道いずみ野線「いずみ中央」駅。徒歩約3・4分ほど。
正面の鳥居。右側の白い壁の先には長福寺があります。
社標と、社殿へと続く石段。
社殿。
社殿前の狛犬。
御由緒板。
MAP
神奈川県横浜市泉区和泉中央南4丁目18−14