子ノ神日枝神社(横浜市栄区若竹町)
2023.06.03[ 神社 ]
鎌倉郡本郷・中野村に古くから鎮座していたと伝わる「子ノ神日枝神社(横浜市栄区若竹町)」。
鎌倉郡本郷の中央部にある「中野村(中之村)」に古くから鎮座していたと云う子ノ神社と日枝社が、一帯の農業のより一層の発展を祈願して当時関東管領職にあった上杉氏により文明年間(1469年〜1486年)に合祀されたと伝わっています。
『子ノ神日枝神社々殿再建由来』と刻まれた石碑には、以下のように記されています。
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子ノ神日枝神社は旧中野村の守護神として鎮座し 「子ノ神」は大己貴命(大國主命の別名)殖産興業の神 「日枝社」は大山咋命(大年神の御子)文化開発の神 を祭神として仰ぎ其の創立は詳かではないが 證菩提寺兼務の書に子ノ神の名ある処より古社である事は証せらるゝも当時は「子ノ神社」と「日枝社」は別社であり其の合祀については此亦不祥である しかし社伝によれば文明年間(一四六九年〜八六年)当時此の地を所管していた上杉関東管領が土地肥沃な㹨川流域の中央部(中野の里)の守護神として 此の両社を併せ祀り農業の振興を図ったと記されている
斯くして明治の末期に神社制度の改革があり各神社とも基本財産壱千円がなければ他社に併合すべしとの布告があり 此れに対応し神社護持の信仰厚き地元氏子民二十五名外信徒が一丸となり 苦心惨胆して基本財産壱千円(当時上田坪当り三十銭位)の募財を達成して合社を免かれ村社に列格中野集落の鎮守神として村民の信仰を集めてきたが その後大東亜戦争終結をへて昭和三十八年(一九六三年)第百土地(株)により附近一帯が住宅地として開発されるに伴い社有林等を一ヶ所に集約造成せれた
爾来住宅の密集と人口の増加につれ氏子地域は中野 元大橋 若竹の三地区に分れ連合体を組織し新旧住民互に融和を計りつゝ神社運営に当ってきたが其の間激しい時流の変遷の中に 社殿も老朽化し神慮の程も畏しと氏子一同産土信仰の原点に立ち戻り浄財を集め 昭和六十一年一月(一九八六年)起工式を共に工事に着手し 以来日夜協力一致して事に当り 昭和六十一年十二月此處に荘厳な社殿と完備せる社務所の竣工を見 神域一新し神威灼然と輝き渡り誠に有難き極である
時恰も 今上天皇 在位六十年の記念すべき時にも当り 一層その意義を深からしむるものである
此も偏に神明の加護と 氏子一同の協同精神の発露の賜と感激に堪えず
依って 子之神日枝神社の沿革と社殿再建の経緯を記して 永く後世に伝える所以である
昭和六十一年十二月吉日
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御祭神は、大己貴命・大山咋命。
現在は鎌倉にある御霊神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、JR根岸線「港南台」駅。徒歩約15分ほど。
神社外観。
正面の鳥居。
御由緒の刻まれた石碑。
拝殿。
拝殿前の狛犬。
拝殿に掲げられた扁額。
境内社の稲荷社。
境内にある石宮。説明用の木札はあるのですが、読めません。。
MAP
神奈川県横浜市栄区若竹町31−28