子之八幡社(横浜市戸塚区上倉田町)
2023.01.14[ 神社 ]
古くから上倉田村の鎮守として祀られていたと伝わる「子之八幡社(横浜市戸塚区上倉田町)」。
創建年代は不明ですが、古くから上倉田村の鎮守「子之神社」として祀られていたと云います。明治期には村社となり、大正期には村内の八幡宮を合祀して現在の「子之八幡社」に改称されました。
境内に掲示されている『上倉田町鎮守子之八幡社略記』には、『由緒沿革』として以下のように記されています。
==========
子之八幡社はもと子之神社と云われ、勧請年月日は不詳ですが古くから村の鎮守でありました。
記録によると、享和二年(一八〇二)三月及び、天保二年(一八三一)社殿が造営され、明治六年十二月村社に列し、同十七年九月及び同二十二年九月の再度の暴風雨のため社殿が破損したが直ちに再建されました。
上倉田町一三九一番地に鎮座されていた八幡宮が大正四年一月一日の火災で社殿が焼失、同年四月二十日子之神社に合祀され、以後子之八幡社と改称されました。
現在の社殿は大正六年に造営され、大正十年七月神饌幣帛料供進神社の指定を受けました。昭和四十六年に拝殿の草葺きを銅板葺きに改造して、社殿の様相を一段と整えることができました。
御祭神大己貴命(大国主命)は、出雲大社を本宗として、その分社はあまねく全国に行き亘っています。大国主命は国造の大神、又は大物主命とも称せされ、物質界のみならず精神界の支配者であるという信仰もあり、多方面に神徳があらわされました。
八幡宮が第十五代應仁天皇を祭神としたことは、遠く奈良時代九州宇佐八幡宮を本宗として祀ったことに始まります。貞観元年(八五九)山城(奈良)男山に分霊し、石清水八幡宮として祀られました。以来、氏族神、郷土神として深く信仰し八幡様は八百万の神々の中で最も広く信仰されています。
中世の武士は武神として尊び八幡大菩薩として仏教と習合した。八幡宮は全国神社の半数に及んでいます。八幡太郎義家は源氏の氏神として、又、源頼朝は鎌倉に幕府を開き氏神として尊崇した。上倉田八幡宮は勧請年月日が不詳ですが、当時長尾郷主が民生安定を願って奉祀されたであろうことは、新相模風土記などから推察されます。
明治以降は神祇院がおかれ、神仏分離がされ、明治六年村社に列せられてから幣帛料が奉祀され、村長が祭礼に参列された。行政区画も相州上倉田村から鎌倉郡豊田村上倉田に、昭和十四年には横浜市に編入されて、戸塚区上倉田町に変った。第二次大戦後は神社は宗教法人として発足することになって、昭和二十八年九月二十八日宗教法人子之八幡社として、神社本庁から認証され法務局に登記されました。
このように行政改革や制度変遷に加えて上倉田町の急激な発展はいつか曾つての農村が都市化されました。ここを永住の地と定めた方々も急増しました。永い歴史と共に上倉田の鎮守様として崇敬され立派に護持されてきました。今後も愈々共に親しんで、氏神のお守を戴き、和やかな、明るい町づくりに努めてまいります。
==========
現在の御祭神は、大己貴命・応神天皇。
現在は笠間の青木神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、各線「戸塚」駅。徒歩約5・6分ほど。
幟竿のある場所からの眺め。かつてはここに注連縄鳥居があったのかも?
正面の鳥居。
拝殿。
拝殿前の狛犬。よく見ると、子獅子はお腹を上に向けています。
境内社。
拝殿の扁額。
リンク
MAP
神奈川県横浜市戸塚区上倉田町978