舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)

2022.10.07[ 神社 ]

舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)

「舞岡ふるさと村」の中にある八幡さま 舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)

鎌倉時代創建・地名の起こりを今に伝える「舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)」。

鎌倉時代の1302年(乾元元年)、「白幡が空に舞った」奇瑞に因み石清水八幡宮を勧請して創建されたと伝わっています。それまで「腰村」と呼ばれていたこの地は、これを機に舞岡村に改められたと云います。

江戸時代には村の鎮守として祀られていました。明治期には村社となり、1908年(明治41年)に村内の第六天社・若宮八幡社・御嶽社を合祀し「舞岡神社」と改称。しかし戦後(昭和41年以後)に改めて「舞岡八幡宮」に改称されました。

境内の御由緒板には、以下のように記されています。

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昔、当地一帯を腰(越)村と呼んで居た頃、白幡が空に舞ったので村の名を舞岡と改めたと云ふ。その幡は当地の西方三十キロの落幡村(現秦野市)に落ちたと傳へるが、この奇瑞に因んで石清水八幡宮を勧請したのが当神社の始めであって、時に乾元元年(紀元一、九六三・西暦一、三〇二)三月であった。爾来、村の鎮守として崇敬せられ明治六年村社、大正六年幣帛供進指定村社(例祭の折、市区町村長が装束を着けて幣帛を奉る)と成り、昭和二十八年宗教法人と成って現在に至る。
相模國鎌倉郡舞岡村はやがて神奈川県鎌倉郡川上村舞岡と成り、昭和十四年には横浜市域の拡大に依って横浜市戸塚区舞岡町を成った。昭和三十年代末の宅地造成に伴って南舞岡が生まれたが、当神社の氏子地域であることは變らない。

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御祭神は、主祭神として譽田別命、相殿として、息長足姫命・比咩大神。合祀神として、孝安天皇・仁徳天皇・國常立命。

現在は横濱水天宮・杉山神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「舞岡」駅。徒歩約5分ほど。

舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)写真

正面の鳥居。

舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)写真

鳥居の傍からの眺め。この一帯は「舞岡ふるさと村」として、森林や田園風景等、「古い時代の農村」が残されています。

舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)写真

二之鳥居。その先の石段を登ったところに、拝殿があります。

舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)写真

御由緒板。

舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)写真

拝殿。壁は、取り払っているのか、あるいは元からこの状態なのか?

舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)写真

境内社(右)と、英霊殿(左)。他にも、境内には石宮や石碑が多くあります。

舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)写真

MAP

神奈川県横浜市戸塚区舞岡町946

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