廣尾稲荷神社
2016.12.06[ 神社 ]
「ハギナメ稲荷」と呼ばれた、徳川秀忠の勧請とも伝えられるお稲荷様
廣尾稲荷神社
徳川秀忠が鷹狩りの際にこの地に休息のため立寄ったと伝えられ、その時に稲荷社を勧請したとも、その後徳川将軍家の別荘「富士見御殿」が造られた際に勧請したのが始まりとも伝わっている「廣尾稲荷神社」。
1845年に青山大火で焼失、またその後関東大震災でも土蔵造りだったため大きな被害が出ましたが、その後現在の木造造りで再建されました。
神社の周辺には萩の花が地を舐めるように咲いていたことから、「ハギナメ稲荷」とも呼ばれていたそう。現在の「廣尾稲荷神社」の名称は明治後期から。
現在の広尾と言えば「高級住宅街」。また同時に国際色豊かな土地柄でもありますが(見かける人の半分以上は日本人ではないかも)、屋敷神発祥とはいえ隣接する有栖川宮記念公園とともに「かつての江戸らしさ」を伺える希少な存在かも知れません。もっとも、広尾商店街も江戸とは言わないまでも十分「懐かしい」雰囲気は残っています。こちらもあわせて散歩されるのも良いかと思います。