間嶋神社(府中市住吉町)
2022.06.29[ 神社 ]
移転した集落の鎮守として祀られていた「間嶋神社(府中市住吉町)」。
創建年代は不明ですが、多摩川の氾濫により移転を余儀なくされた間嶋集落の人々の鎮守として祀られていたと云います。
間嶋について、府中市による『間嶋』の案内碑には、以下のように記されています。
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間嶋(あいじま)は、現在の住吉町三、四丁目の一部(間嶋神社辺り)に集落の中心があった村落です。
この集落は本宿に属しており、「新編武蔵風土記稿」(幕末の地誌)には、「本宿村」の小名としてその名が見えます。もともと間嶋は青柳島(関戸橋の西方)にありましたが、多摩川の洪水で流されたために移転したと伝えられています。青柳島の住民の多くは、他所(国立市青柳)へ移住したようです。
地名の起こりは、不明ですが、古く、集落のあったところが河川との間の島のような中州であったことによるのかもしれません。
延宝六年(一六七八)の検地帳には「相嶋」と記されています。
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また神社前の通りの脇にある『ごんげんばし』と書かれた石碑には、以下のように記されています。
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この橋は、四谷用水の一流路、下モ河原(しもがわら)大堀に架かる権現橋です。橋の名は、昔、間島(あいじま)神社が「子の権現」とよばれており、橋が神社の入口に架かることに由来します』
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ネットで調べていると、こちらの神社の御祭神は「間嶋大神」と出てくるのですが、それは「子権現」のことのようです。(明治期なら大己貴神とするところでしょうか)。
最寄駅は、京王線「中河原」駅。徒歩約10分ちょっと。
かつて「権現橋」があったとされる場所から。道の右側に社標があります。
道路脇にある石碑。
正面の鳥居。
境内はこじんまりとしています。
拝殿。
府中市による『間嶋』の案内碑。
境内社の稲荷社。本殿のさらに裏側に鎮座しています。
MAP
東京都府中市住吉町3丁目71−2