武蔵御嶽神社細山分社(川崎市麻生区千代ケ丘)
2022.04.19[ 神社 ]
大麻止乃豆乃天神社の御分霊を勧請し創建された「武蔵御嶽神社細山分社(川崎市麻生区千代ケ丘)」。
江戸末期の嘉永年間(1848年〜1853年)に創建されたと伝わっています。麻生観光協会のサイトによれば、『名主が中心となって、村の守護神として、大麻止乃豆乃天神社分社を建立し、明治7年(1874年)御嶽神社と改名した』そうです。
大麻止乃豆乃天神社は、旧武蔵国多摩郡にあった延喜式内社で、現在稲城市にある「大麻止乃豆乃天神社」が有力論社とされています。しかし、かつては武蔵御嶽神社も論社と言われ、明治初期の一時期には大麻止乃豆乃天神社と改称していた時期もありました。
神社のある周辺は、かつて「経塚」と呼ばれていたと云います。境内にある「史跡 経塚」という案内板には、以下のように記されています。
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このあたりを「経塚」と呼んだ。
『新編武蔵風土記稿』で「この塚あるを以って小名を経塚とよぶ。古塚相対して二つあり、いづれも周廻十三間余高さ六尺ほど、上に古松一株をうえたり』とある。
昭和四十三年、細山土地区画整理組合が実施した発掘調査では、一号経塚は盗掘されて出土品は無く、二号経塚はこれまで未発掘であったがため成果が期待されたものの、経塚と断定できる資料は発見されなかった。一説には浅間塚(富士塚)との見方もあるが、当地ではつい最近まで経塚という地名が残っており、この地が経塚であったと伝えられていた。
経塚というのは仏教を長く後世に伝えんがために、経典を供養して地中に埋めたもので経典を納めた経筒経石、経瓦その他の仏具を埋め、塚の上には五輪塔を建てることもあった。
かつては塚の上から秩父の武甲山、多摩の御嶽、小仏峠、高尾山、相州の丹沢、箱根あたりまで一望にし晴れた日には東京湾から房総半島まで見えた風光絶景の地であったという。
近くには名刹、香林寺があり、そこには五重塔が建つ。塔は地上に建てられた荘厳のかたちである。経塚は地中にかくされた沈黙の祈りである。現代の五重の塔と古代の経塚と照合し合うものに思いをめぐらし、歴史の永遠を偲びたい。
平成三年五月
細山郷土資料館
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最寄駅は、小田急小田原線「百合ヶ丘」駅、もしくは「新百合ヶ丘」駅。どちらからも、徒歩だと約20分ほど。
神社入口。
正面の鳥居。
拝殿。
境内にある「経塚」の案内板。
和洋折衷、と言ったら良いのでしょうか。。神社としては、ちょっと異質な感じの境内です。
MAP
神奈川県川崎市麻生区千代ケ丘5丁目4−1