青山熊野神社
2016.11.28[ 神社 ]
元は屋敷神・紀州徳川家のお殿様が勧請した熊野大権現
青山熊野神社
紀州徳川家の祖・徳川頼宣の屋敷(現在の赤坂御所)内に奉斎されていたものが、一般の人々も参拝できるようにしてほしいとの地元民の請願によって遷されたのが現在の「青山熊野神社」。当初は「熊野大権現」と呼ばれていたそうです。青山総鎮守。
熊野信仰、熊野神社は日本各地に広まった信仰の一つですが、ここは「屋敷神」発祥。
熊野神社と言えば「八咫烏」伝説。そして八咫烏とサッカーと言えば虚実あわせいろいろなお話がありますし、場所によっては「公認」のサッカーお守りもあるようですが、ノーマルの「八咫烏のお守り」はサッカーファンにも、それ以外の方にもオススメ!です。
ちなみに神社の脇の道、具体的には表参道の「まい泉」の前の通りをずっと北東に進んだ先にこの神社があるのですが、この道は「旧鎌倉街道」だったと言われています。その先の下り坂は「勢揃坂」。後三年の役の際に源義家がここで軍勢を揃えたと伝えられている場所です。この道は鳩森八幡神社までは残っていますが、そこから先(北上していたらしい)は江戸時代にはすでになくなっていたようです。