白玉稲荷神社(中野区中央)
2021.11.15[ 神社 ]
かつては宝仙寺の境内に祀られていたお稲荷さま
白玉稲荷神社(中野区中央)
かつては宝仙寺の境内に祀られていたお稲荷さま「白玉稲荷神社(中野区中央)」。
創建年代は不明ですが、明治維新前までは近くにある宝仙寺の境内に祀られていたそうです。その宝仙寺がこの地に移ったのは室町時代なので、それ以降の創建ではないかと思われます。
中野区教育委員会による案内板『白玉稲荷神社の鳥居』には、以下のように記されています。
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白玉稲荷神社は、もとは宝仙寺境内にありましたが、明治維新後の神仏分離の際に、ここに分社され、以後、この地であがめられてきたやしろです。
この石の鳥居には、「奉納 歳豊饒 子下中」「明治十四年巳十月」、そして願主として浅田甚右ヱ衛門以下五十人の氏名が刻まれています。
青梅街道に面した家いえは江戸時代末期、半商半農の生活を営んでおり、問屋場の置かれた街道筋には人家も多く、村内は上・中・下の三宿にわけられていました。鳥居に刻まれた「小下中」というのは、下町をさらに大・小にわけたうちの小下組中という意味で、この近辺が小下に属していたのでしょう。この文は、浅田澱橋氏を介し、明治の初め頃の漢学者 南摩綱紀の依頼によって成瀬大域が書いたもので、その書風は、区内の金石文の中でも風格のある名筆といわれています。
この鳥居に刻まれた金石文によって、指名の移り変わりがわかるとともに、この地に住んでいた有力者たちの姿を想像することができます。
昭和五十八年三月
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御祭神は、宇迦之御魂神。
最寄駅は、東京メトロ丸ノ内線「中野坂上」駅。
正面から。左に見えるのは馬頭観音。
社殿の後ろにある鳥居。こちらが明治期に奉納された(上記文中の)鳥居。
MAP
東京都中野区中央2丁目8−24