小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)

2021.09.28[ 神社 ]

小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)

山ノ内荘領主・山内首藤氏によって創建されたと云われる春日社 小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)

平安時代に山内首藤氏によって創建されたと云われる「小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)」。

創建年代は不詳ですが、かつてこの地は「山ノ内荘本郷」と呼ばれていたことから、当時の山ノ内荘領主・山内首藤氏(秀郷流藤原氏)によって創建されたものと考えられています。鎌倉時代以降荒廃したようですが、戦国時代末期に後北条氏の家臣・宇部松菊丸によって再建され、本郷六村の総鎮守として祀られるようになりました。

「春日神社と龍光院 旧小菅ケ谷村社」と書かれた案内板には、以下のように記されています。

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春日神社は、古く本郷六村の総鎮守であったと伝えられ、天児屋根命外三柱の神を奉斎し、末社には、神明(桂・公田)八幡(鍛冶ヶ谷)、白山(上郷)、稲荷(中野)の本郷各村の村社がある。
「新編武蔵風土記稿」によれば、永禄8年(1565年)に、小田原北條氏の公田の地頭職出会った宇部左京亮の子息、宇部松菊丸が再建したといい、社伝もこれを伝えている。しかし、春日神社の総社である奈良の春日大社は、奈良時代初期の創建で、藤原氏の氏と祖先神が祭られており、平安時代を通じて藤原氏の拡大発展とともに全国に流布され、藤原一族支配の地域神として、村社・鎮守・総鎮守となったという。本郷の地は平安時代、山ノ内荘本郷といわれた。山ノ内荘は柏尾川流域を経営した秀郷流藤原氏の名族・山内首藤氏の荘園である。本郷は奈良朝尺度郷の中心地であり、山ノ内荘の中心的穀倉地帯であることを考えると、この春日神社は、山内首藤氏により創建されたとするのが自然である。
山内首藤氏は荘園領主ばかりではなく、在地武士団でもあり、源義家以来、源氏と深く関係していた。山内俊通とその子俊綱は、保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)の折、源義朝につかえ、戦死している。源頼朝の挙兵の折は俊通の次男経俊が頭領であり、当然頼朝を援けると思われたが、頼朝方弱小とみて平家方に味方した。このため後に鎌倉に入府した頼朝は経俊を捕らえ、山ノ内荘を土肥実平にあずけ、後に和田義盛に与えた。このため。崇敬の中心山内首藤氏を失った春日神社は、次第に衰亡したものと考えられる。戦国時代の末、新しく小田原北條氏から「本郷公田」の領主に任ぜられた宇部氏は、周辺に威勢を振るう政策の一つとして、春日神社とその別当寺の龍光院(明治に廃寺となる=現在は、春日神社社務所)を再建し、その昔の総鎮守の力を示すため、当時の本郷各村の村社を末社として記録したと考えられる。要するにこの春日神社は伝えられるよりは、はるかに古い平安時代の創建と考えられる。

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御祭神は、天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比売命。

現在は鎌倉・長谷の御霊神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、JR根岸線「本郷台」駅。徒歩約15分ほど。

小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)写真

正面の鳥居。

小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)写真

鳥居をくぐって一段高い場所に、末社が祀られています。

小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)写真

大きな石灯籠を通って、上を目指します。

小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)写真

次の段の中央には、山岳信仰の石碑(おそらく、御嶽・八海山・三室山)があります。

小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)写真

一番上の段に拝殿・社殿があります。

小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)写真

拝殿脇の覆屋。この中にもいくつかのお宮が祀られています。

小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)写真

拝殿前の狛犬。

小菅ケ谷春日神社(横浜市栄区小菅ケ谷)写真

境内からの富士山の眺め。初秋の、午後三時過ぎでこれだけ綺麗に見えるのですから、冬場の午前中ならとても素晴らしい富士山が拝めるものと思われます。

MAP

神奈川県横浜市栄区小菅ケ谷3丁目57−17

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