住吉神社(横浜市青葉区奈良町)

2021.06.06[ 神社 ]

住吉神社(横浜市青葉区奈良町)

奈良村の鎮守として祀られてきた神社 住吉神社(横浜市青葉区奈良町)

旧武蔵国都筑郡奈良村の鎮守として祀られてきた「住吉神社(横浜市青葉区奈良町)」。

江戸時代の安永元年(1772年)、地頭・石丸藤蔵の寄進により創建されたと伝わっています。以来、旧武蔵国都筑郡奈良村の鎮守として祀られてきました。大正時代には近隣の杉山神社・神明社・竈社を合祀しました。

石丸藤蔵とは、江戸幕府の旗本石丸家の家督を継いだ者が名乗っていた名称。石丸家は、もともと伊勢国の出身で、北畠家に仕えた後、織田信長の次男・織田信雄の配下となり、さらにその後徳川家康の命によりこの地を知行することになったのだそう。

御祭神は、武之内宿禰。住吉神社で、御祭神が武之内宿禰とは、かなり珍しいのでは?もしかしたら、石丸家の家系図を辿ると武之内宿禰に連なるのでしょうか。。

現在は神鳥前川神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、東急こどもの国線「こどもの国」駅。徒歩徒歩約7・8分ほど。恩田川支流の奈良川によってできた丘の上に鎮座しています。

住吉神社(横浜市青葉区奈良町)写真

正面の鳥居と社標。

住吉神社(横浜市青葉区奈良町)写真

拝殿前の鳥居。

住吉神社(横浜市青葉区奈良町)写真

鳥居の先、さらに石段を登ったところに拝殿があります。

住吉神社(横浜市青葉区奈良町)写真

拝殿。

住吉神社(横浜市青葉区奈良町)写真

境内にある石碑。以下のように記されています。

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住吉神社は吾等が郷土奈良の永代に亘る鎮守であって御神体は銅鏡である。
安永九年時の地頭石丸氏の寄進によって新社殿が建立されたが、その後氏子の土志田義辰氏に依って改築された。用材はすべて﨔を用い四周にわたり多くの彫刻が施され近隣にその荘厳さを誇った。しかるに昭和四十七年九月一不逞の輩の放火によって社殿悉く烏有に帰した。氏子一同悲嘆にくれた。たまたま昭和四十八年新年祭に際し氏子三沢重元氏等を中心とし社殿再建の議があり一同の合意するところとなり再建委員会の結成されるに至った。予算五阡萬円余、すべて氏子崇敬者の浄財寄進に依ることとし、鉄筋コンクリー造に銅葺にして建坪四一二五平方米往時の姿をそのまゝ再建し、それに近代仕様を加味し、設計は株式会社農協建設設計センター担当、施工は株式会社松井建設によって請負はれ更に附帯工事等も総て完成し、氏子一同の念願も見事に達成して、昭和五十年秋を期して御遷座の儀が執り行なわれる運びとなった。茲に氏子崇敬者一同の㐂びを深く刻して記念とするものである。

昭和五十年九月二十三日
住吉神社再建委員会

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住吉神社(横浜市青葉区奈良町)写真

拝殿に掲げられた扁額。

住吉神社(横浜市青葉区奈良町)写真

拝殿からの眺め。

MAP

神奈川県横浜市青葉区奈良町833

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