雪ヶ谷八幡神社
2020.01.07[ 神社 ]
太田道灌の曽孫・太田康資によって創建された「雪ヶ谷八幡神社」。室町時代末期の永禄年間の創建と云われています。
境内にある「社誌」と書かれた石碑には、以下のように記されています。
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祭神 誉田別命(応神天皇)
当社の創建は永禄年中と誌され北條左京大夫氏康の臣太田新六郎 管内巡視の際当所に於いて法華曼陀羅の古碑を発掘し、その奇瑞により八幡大菩薩を創祀すると伝う
爾来元亀 天正戦乱の世を経て 慶長 元和の頃 円長寺 長慶寺の創建により別當として二寺隔年に奉仕するところとなる 旧中原街道沿道随一の由緒深き神社として諸人の崇敬のもとに 文久三年二月社殿再建の業を起し明治三年十一月拝殿造営 ついで明治二十三年再び工を起し 明治二十八年十一月二十五日本殿幣殿落成 遷宮を行う 明治維新後神佛分離により明治五年村社に列せらる
昭和二十年五月戦災に依り社殿焼失 昭和三十四年八月限社殿の造営なる
かくて 氏子崇敬社の赤心のもと 社域の整備復興を見 雪ヶ谷の里の鎮護の神として 茲に四百有余年の御神徳をもって現在の盛儀をみるに到る
昭和五十四年九月吉日
雪ヶ谷八幡神社 宮司識
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創建にあたり名の出てくる太田新六郎とは、あの太田道灌の曽孫である太田康資のこと。太田康資はこの後北条氏を裏切り里見氏につきますが、里見家の家督争いに巻き込まれ、最後は上総国で自害したと伝わっています。
最寄駅は、東急池上線「石川台」駅。徒歩2・3分ほど。
大鳥居と社標。
ニノ鳥居。
拝殿前の鳥居。
御由緒の刻まれた石碑。
境内社の齋霊殿。
境内社の稲荷社。
境内社(四社合祀殿)。
出世石。昭和の大横綱・大鵬が序二段の頃、こちらの神社で地域の子供達に稽古をつけていたそうです。その後も節分祭など神社と深い繋がりがあり、横綱時代に『出世石』と書いた書を奉納、それを氏子の人々が石に刻んだもの。