弦巻八幡小祠(世田谷区弦巻)

2023.03.15[ 神社 ]

弦巻八幡小祠(世田谷区弦巻)

弦巻神社に合祀された八幡神社の名残 弦巻八幡小祠(世田谷区弦巻)

弦巻神社に合祀された八幡神社の名残と思われる「弦巻八幡小祠(世田谷区弦巻)」。

祠の周りに御由緒板や案内板等があるわけではないのですが、住所(弦巻4丁目33)から察するに、明治期に弦巻神社に合祀されたという八幡神社がかつてあった場所だと思われます。

この地に八幡社があった理由については、かつて世田谷城の城主だった世田谷吉良氏がこの(弦巻)一帯を鶴岡八幡宮に寄進し、荘園となっていた関係から、その当時に勧請されたのではないかと云われています。

また神社の前には江戸時代の大山詣をモチーフにした像と案内板が建っています。祠の脇を南北に遠ている道が、旧世田谷城から大山街道に合流する「大山道」(上町線)だったそうです。

最寄駅は、東急田園都市線「桜新町」駅、あるいは東急世田谷線「上町」駅。

大きな松の古木が目印になっています。

正面からの祠の外観。

かなりしっかり(?)覆われています。

中の様子。隙間から撮影。

大山詣をモチーフにした像。その脇にある案内板には、以下のように記されています。

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大山詣(おおやまもうで)
江戸時代中期、関東一円の農村には雨乞いのために、雨降り山とよばれる丹沢の大山に参詣する習慣がありました。これを大山詣といいます。赤坂見附から青山、世田谷、二子、溝ノ口、長津田、伊勢原を経て大山に至るこの道は、俗に大山道とよばれていました。世田谷区内の大山道は、三軒茶屋、世田谷通り、ボロ市通り、そして弦巻を通って、用賀、二子玉川に行っていました。
しかし、大山詣はしだいに、信仰は口実となり、帰り道東海道に出て、江ノ島や鎌倉で遊ぶ物見遊山の旅に変わってきました。この像は、そんな大山詣をする商家の主人をモデルにし、たぶん一服しただろうと思われるこの場所に設置したものです。 昭和六十年三月 世田谷区

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さらにその脇には「蛇崩川 洗い場跡」碑が。蛇崩川の水源は現在の「馬事公苑」付近だそう。

MAP

東京都世田谷区弦巻4丁目33

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