多武峯内藤神社

2020.08.30[ 神社 ]

多武峯内藤神社

家祖・藤原鎌足を祀る邸内社が起源 多武峯内藤神社

高遠藩内藤家初代・内藤清成によって創建された「多武峯内藤神社」。多武峯は「とうのみね」と読みます。

江戸時代初期に、老中や関東総奉行・江戸町奉行を歴任した内藤清成が、拝領した地に邸内社として創建したのが起源と伝わっています。屋敷(中屋敷)跡は、現在の「新宿御苑」。現在の「新宿」の起源となった「内藤新宿」とは、この一帯を内藤家が所有していたことに由来しています。

神社入口に掲げられている「多武峯内藤神社由来記」には、以下のように記されています。

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当社は、江戸初期に初代内藤清成氏が屋敷内の地(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り、(内藤神社)を草創したことに始まり、また藤原氏の氏神である奈良の春日大社より、経津主神、武甕槌神、天児屋根神、姫神の分霊を勧請合祀してあります。明治十九年に新宿御苑の地より現在地へ移設、還座され今日に至っています。当初は武州多武峯神社と称していましたが、昭和四十二年五月に多武峯内藤神社に改称されました。

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御祭神は、藤原鎌足公。相殿に、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・姫神・内藤家歴代祖霊。

最寄駅は、JR中央本線「千駄ヶ谷」駅、あるいは「信濃町」駅。どちらからも、徒歩7・8分ほど。

神社の入口。

拝殿前の鳥居。

拝殿。

拝殿の扁額。

境内社。

駿馬塚。新宿区教育委員会による案内板には、以下のように記されています。

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内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑である。
徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。
清成の乗った駿馬は、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられる。
後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が、文化十三年(一八一六)八月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てた。
碑はその後、明治五年(一八七二)九月に現在地に移されたものである。

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江戸時代に作られたという駿馬像が安置されている「神馬殿」。

拝殿前の狛犬。

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