小野神社(多摩市一ノ宮)

2022.07.02[ 神社 ]

小野神社(多摩市一ノ宮)

武蔵国一宮「小野神社」の有力論社 小野神社(多摩市一ノ宮)

武蔵国一宮として古くから崇敬されてきた「小野神社(多摩市一ノ宮)」。

第3代安寧天皇の時代(安寧天皇18年)、二井諸忍野神狭命(ふたいのうかもろおしのかんさのみこと)の十世兄武日命(えたもひのみこと)が武蔵国国造となった際に、天下春命を御祖神としてこの地に勧請し奉斎したと云われています。

神社頒布の栞には、御由緒について以下のように記されています。

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当社は安寧天皇一八年二月初末の日御鎮座と伝えられ武蔵国開拓の祖神である天下春命(あめのしたはるのみこと)を主神として御奉祀申し上げて居る由緒ある神社である。
御社名は上代此地の呼び名であった小野の郷に由来するものであるが其の霊験の灼かなる神社としてやがて朝廷の上聞にも達せられ数々の奉幣にも預かり元慶八年七月には正五位上の神階を授けられた。又、廷喜式が撰せられた折には武蔵国八座の一社として登載された。且つ国府の近在なることに由いて国司や住民の崇敬も殊の他篤く総社六所宮創建の砌には東殿第一次の席を与えられて一之宮と称された。
然して当社の社伝には永承六年源頼義陸奥守に任せられて下向の途次其子義家と共に参籠され太刀一振りと詠歌一首奉納の事績が繙かれ吾妻鏡にも養和元年四月一宮は吉富井蓮光寺と併記され更に建久四年八月の刻印ある経筒の銘に一宮別当松連寺が記録されている。
稍時代も下り安居院の神道集並に深大寺の僧長弁の私案抄を尋ねると当社は中世以来文珠菩薩を本地となした信仰も行われていた。
斯くなる所此の近在は鎌倉末より戦国時代にかけて度々の戦乱や多摩川の氾濫があり当社にも多大の被災が及び衰微したが徳川二代将軍により造営再興された。

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御祭神は、天ノ下春命・瀬織津姫命。

「武蔵国一宮小野神社」については、対岸の府中市にある小野神社(府中市住吉町)も論社のひとつと云われています。

最寄駅は、京王線「聖蹟桜ヶ丘」駅。西側にある正面の鳥居までだと、徒歩約8分ほどでしょうか。

神社入口の鳥居と社標。

正面の随身門。

境内。

拝殿。

MAP

東京都多摩市一ノ宮1丁目18−8

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