寒川神社(寒川町宮山)
2024.10.13[ 神社 ]
相模国一之宮・八方除の守護神として崇敬されている「寒川神社(寒川町宮山)」。
詳しい創建年代は不明ですが、雄略天皇(想定457年~479年)の時代に奉幣があったという記録があることから、その頃には既に鎮座していたものと思われます。延喜式内社(名神大社)であり、また相模国一之宮にもなっています。唯一の八方除の守護神として、現在は日本で最も昇殿祈祷者が多い神社なのだそう。
境内にある御由緒板内の『由緒』には、以下のように記されています。
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当神社は総国風土記によりますと、雄略天皇(四五七年~四七九年)の御代に奉幣(天皇より神社に献上品がされること)の記録があり、神亀四年(七二七年)に社殿建立とも伝わり、一六〇〇年以上の歴史を有しています。
以後、延暦十六年(七九七年)桓武天皇を始めとして歴代奉幣の記録があり、承和十三年(八四六年)に神階従五位下を始めとする神階授与もなされています。また醍醐天皇の御代に制定されました延喜式神名帳によれば相模国十三社の内、名神大社とされており、関東地方の借仰の中心をなしていました。
中世においては源頼朝、小田原北条氏累代による社殿造営や社領寄進がなされており、武田信玄からは武運長久を祈願して鉄錆地六十二間筋兜(神奈川県指定重要文化財)が奉納されるなど特に崇敬の念は篤く、徳川家代々においても社殿再建、社領寄進など古来より武家からの崇敬は極めて篤いものがありました。
明治期になりますと、明治四年五月に制定されました官国幣社制度によって、例祭において国費から幣帛料が奉納される「国幣中社」に列せられました。
その後、大正時代における関東大震災、昭和の御大典という時代を経て、昭和二十年八月十五日、大東亜戦争の終戦後、同年十二月の神道指令によって、神社の国家管理制度が廃止されました。昭和二十一年二月、神社神道の宣布と祭祀の執行による氏子の教化育成を目的として、全国の神社及び神社関係者を統合する神社本庁が設立され、当神社も神社本庁による包括神社となっております。
戦後、日本全体の復興とともに、八方除信仰を中心とした御神徳の宣揚に努め、全国の崇敬者からの御崇敬と多くの御参拝をいただいております。
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御祭神は、寒川大明神(寒川比古命・寒川比女命)。
最寄駅は、境内に近いのはJR相模線「宮山」駅。ですが、一ノ鳥居から参拝するのなら、「寒川」駅からとなります。
JR相模線の踏切前にある一ノ鳥居。
境内まで約700mある参道。途中にニノ鳥居があります。しかし、この道は基本的に自動車道(※歩道も設置されてはいます)。正直なところ、気持ちは上がりません。。
奥に見えるのが、境内前の三ノ鳥居。
近くからの、三ノ鳥居。
御由緒板。
三ノ鳥居の先もしばらく参道が続きます。
神門。
拝殿。
渾天儀。
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MAP
神奈川県高座郡寒川町宮山3916