桜株金毘羅神社(大和市上和田)
2023.05.31[ 神社 ]
桜株の氏神としてお祀りされてきた「桜株金毘羅神社(大和市上和田)」。
江戸時代末期の1831年(天保2年)に、四国の金刀比羅神社の御分霊を宮久保の裏山にお祀りしたのが起源と伝わっています。その後桜株(現在の桜ヶ丘)に移住してきた人々の要望により1887年(明治20年)に現在地に遷座、桜株の鎮守としてお祀りされるようになりました。
境内にある案内板には、御由緒について以下のように記されています。
==========
昭和二十一年(一九四六年)、神社本庁に申請し、昭和二十八年(一九五三年)に登録神社となった。主祭神は金山彦命(かなやまびこのみこと)であり、相殿は須佐之男命(すさのおのみこと)を御神体としている。例大祭は七月十四日で、近年はこの日に近い土日に行われている。
上和田字宮久保の神谷家の先祖が四国にお参りに行き、金毘羅様の分霊をいただいてきたのが発祥とされ、江戸時代末期の天保二年(一八三一年)十一月ごろ、宮久保の裏山に金毘羅大権現として祀られていたと伝わる。桜株(現在の桜ヶ丘)に移住した人たちが自分たちの氏神を希望し、明治二十年(一八八七年)四月に現在地へ移設した。
社殿は明治二十八年(一八九五年)の火災で焼失したが、十五年後に新築して境内を拡充した。さらに昭和十六年(一九四一年)、深見神社が社殿を建て替えた際に、古い建物を譲り受けて現在の社殿を建てた。
当初は葺屋根だったが、昭和四十四年(一九六九年)にトタン板、昭和五十九年(一九八四年)に銅板にそれぞれ替わり、現在に至っている。
御神体を収める本殿は、正面の柱が二本で間口が一つである一間社流造である。天保三年(一八三二年)に建築されたが、明治の火災で運び出されて被害を免れたのではないかと推定される。原型をよく保っており貴重な遺構である。
==========
御祭神は、金山彦命(※神奈川県神社庁のサイトでは大物主命となっています)・須佐之男命。
現在は公所浅間神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、小田急江ノ島線「桜ヶ丘」駅。徒歩約1・2分ほど。
正面の鳥居。
境内の様子。
拝殿。
拝殿前の狛犬。
拝殿の扁額。
MAP
神奈川県大和市上和田959