大池弁財天(横浜市旭区大池町)
2023.06.23[ 神社 ]
「天明の大飢饉」で亡くなった村民の供養のために建立されたと伝わる「大池弁財天(横浜市旭区大池町)」。
古くから「本宿の大池」と呼ばれていたこの地に、1790年(寛政2年)、天明の大飢饉(1782年〜1788年)で亡くなった村民の供養のために建立されたと伝わっています。
『大池の歴史』と書かれた案内板には、以下のように記されています。
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この池は、古くから「本宿の大池」といわれ二俣川村本宿の溜池で、元久二年(一二〇五年)六月、畠山重忠公と合戦した北条時政の軍勢が、この池の水で炊き出しをしたと伝えられている。
また、土地の古老の話によると、江戸時代中頃(一七〇〇年代)にこの付近の地頭の渡辺氏の命により、百姓六兵衛親子二代にわたり村内五二戸の灌漑池(農業用水)としてつくられたとも伝えられている。
池畔には、弁財天の石祠が祭られており、寛政二年(一七九〇年)二月に建立と刻まれているが、天明二年(一七八三年)の大飢餓で大勢の人が亡くなったことを供養して建てられたと伝えられている。
また一方では、昔ある男が鴨を撃とうとして誤って池の主の大蛇を殺してしまい崇を恐れて弁財天を建てたとも伝えられている。
昔からの行事としてこの池では、毎年五月五日に村人が弁天様に「御神酒上げ」をして豊作を祈った。また、旱魃(日でり)になると村人の代表数人が大山の阿夫利(雨降)神社に参拝し、「御神水」を戴いてこの池に注ぎ弁天様に雨が降るように「雨乞い」をした。
このような行事は昭和三三年(一九五八年)ごろまで行われていた。
そのころまでは、池の周辺や前の道路に桜が植えられ花見などで大変賑わい、こども達は釣りや夏の水泳にと格好の遊びの場となっていた、
現在の池は面積六四六〇平方メートルあり、昭和四七年(一九七二年)には林とともに保存するため「こども自然公園」として生まれかわりました。
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現在は「こども自然公園」として、多くの方の憩いの場となっていますが、こうした歴史の上に現在があるのだと思うと、感慨深いものがありますね。
最寄駅は、相模鉄道本線「二俣川」駅、あるいは相模鉄道いずみ野線「南万騎が原」駅。
外観。大池の畔にあります。
鳥居前からの神社外観。
社殿。
社殿近影。
鳥居の横にある『大池の歴史』案内板。
鳥居の前からの大池の眺め。
MAP
神奈川県横浜市旭区大池町