千代田稲荷神社(千代田区麹町)

2019.10.31[ 神社 ]

千代田稲荷神社(千代田区麹町)

都心の高層ビルのはざまに鎮座する小祠 千代田稲荷神社(千代田区麹町)

都心の高層ビルのはざまに鎮座する「千代田稲荷神社(千代田区麹町)」。

江戸時代に、旗本の屋敷神として祀られたのが起源と伝わっています。戦後に京都伏見稲荷神社より御分霊を勧請し現在の「千代田稲荷神社」となりました。

境内にある御由緒板には以下のように記されています。

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千代田稲荷神社の前身は「富田稲荷社」と云って、伝承によれば江戸の昔、番町に住む富田某なる旗本の屋敷神様で有ったものが、幕末、明治と時は移り旗本の没落変遷に伴い当地旧麹町八丁目町会の人々がお守りして江戸の昔から大正九年頃まで現在の六番地にあった「村高山栖岸院」なる寺院の境内西側に祀られていました。その後、栖岸院跡地は岡常吉氏の所有となり、お稲荷さまは引き続き安置され地元町会の信心篤き人々によってお守りして参りました。
時は昭和と変わり、太平洋戦争を向かえて昭和二十年五月の大空襲により社宇尽く焼失してしまいました。
平和に蘇った昭和二十四年、明治の政商、「大倉喜八郎氏」のご好意で一番地の所有地、現「鉄道弘済会」の左側の一遇に神域をお借りして、二番地「杉田屋印刷」杉田弥太郎氏が京都「伏見稲荷神社」よりご神体を勧請して、麹町五丁目町会初代会長「葛和栄一氏」「岡田庫三氏」「瀬谷一良氏」と共に一間四方宝形造りの社殿を建立「千代田稲荷神社」と命名されました。
昭和二十六年「麹町五丁目町会」(元麹町八丁目・九丁目会併合)が誕生以来、お稲荷様をお守りして年々歳々四月の初午に例大祭を執り行ってまいりました。
昭和三十年代に入って稲荷神社の土地は、大倉氏より名古屋の南山大学に、更に鉄道弘済会に移り、昭和三十九年の暮れから稲荷神社移転問題が起こり方々土地捜しの末、時の町会長「瀬谷一良氏」顧問の「岡田庫三氏」、岡常吉氏と親交の有った「湯田忠義氏」の努力で現在の六番町に再び神域をお借りして、会員より寄付された色々の樹木を境内に植え新社殿を建立、昭和四十年八月八日遷座して後、町会の氏神様としてお守りして参りました。
昭和六十二年、ビル建設計画にともない五月末、日枝神社内にご遷座以来毎月十日、日枝神社本殿に於て「月並祭」をご奉仕して参りました。
平成十二年七月、共同ビル完成に伴い、ビル公開空地の一角に共同事業者ご寄贈の新社殿が完成し、ふるさと麹町の防災防火の守護神として、奇しくも江戸の昔からの神域「栖岸院跡地」にお帰りなられました。

「村高山長福寺栖岸院」
創建は慶長十九年、安藤対馬守重信開基、開山は妙誉和尚、浄土宗知恩院末寺。三河の国「村高山長福寺」を移したと云う。
安藤対馬守は高崎城主五万六千六百石の大名。栖岸院殿大誉良善大居士は安藤重信の法号。

平成十二年七月吉日
麹町五丁目町会
町会長 早川平典

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現在はビルのはざまに心許なく(?)鎮座している印象なのですが、現在の形に落ち着くまでに、紆余曲折があったんですね。小さいながらも地元で大切にされてきたことが御由緒からうかがえます。

最寄駅は、東京メトロ有楽町線「麹町」駅。徒歩2・3分ほど。

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