新田神社(川崎市)

2019.02.02[ 神社 ]

新田義貞の死を悼み、冥福を祈って設けられた廟が起源 新田神社(川崎市)

新田義貞の死を悼み、冥福を祈って設けられた廟が起源の「新田神社(川崎市)」。

境内に掲げられている御由緒には、以下のように記されています。

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贈一位・左近衛中将新田義貞公が延元3年(1338年)7月2日越前国藤島(現在福井市)で討死の際、その臣亘新左衛門尉早勝が公の差添えの名剣と七つ入り子の名鏡並びに錦の陣羽織の三種の品を得てこの地に携えて帰り、ひたすら公の冥福を祈って供養していたところ、里人らも公の徳を追慕し、その三種の形見を早勝に請い早勝と共に永和元年(1375年)7月2日清浄の地を求め孤松の下に埋納し、廟を営んで新田大明神と崇め、この地の鎮守とした。

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また『正月元旦と七月二日の暁にはこの地に軍馬の嘶く声がすることあり、これは河北矢口村に鎮座されている公の庶子新田義興公の霊(※大田区の新田神社)が父霊のもとに参るため』という伝承も伝わっています。

御祭神は、主祭神として新田義貞公。配祀神として、天照大御神・市杵島姫之命・宇迦之御魂之神・亘新左衛門尉早勝。

最寄駅は、JR南武支線「川崎新町」駅。JR各線「川崎」駅からも徒歩圏です。

境内社の稲荷社。

境内社の姥ヶ崎弁才天社。

境内社の神明社。

亘新左衛門尉早勝の墓。

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