稼穡稲荷社(品川区北品川)
2021.11.23[ 神社 ]
佐土原藩島津家の屋敷神が起源と伝わる稲荷社
稼穡稲荷社(品川区北品川)
佐土原藩島津家の屋敷神が起源と伝わる「稼穡稲荷社(品川区北品川)」。
かつてこの地は佐土原藩島津家の抱屋敷で、幕末に南品川宿の地主が中心となってはじまった互助組織(現在の六行会)がこの土地を買い取った際に既に稲荷社があったということから、もとは佐土原藩島津家の屋敷神だったと思われます。
その後改めて京都伏見稲荷大社より御分霊を勧請、現在の稼穡稲荷社となりました。
神社に掲げられている案内板には、以下のように記されています。
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稼穡稲荷社は、別名荏川稲荷ともいい、祭神は宇迦能比売命である。この稲荷のはじまりについては、こんな話が伝わっている。
薩摩屋敷から六行会がこの土地をゆずりうけたとき稲荷社は北東の旧目黒川の方にあった。
そこでこんな隅にあったのをたいそう気にしていた六行会の生みの親ともいえる山本伴曹は、ある夜狐の嫁入りの夢をみた。山本伴曹は荏原神社の神主であった鈴木播磨に頼んで、伏見稲荷さんを分請したというのである。
そしてそれは文久元年(一八六一年)という。
稼は植える、穡は収める、とりいれを意味し、農業の意味である。稼はカセギともよみ、かせぎためると読み替え商売繁盛の神として命名した。
稲荷の祭りは、春に田の神を里に迎える二月の初午である。赤い旗や白い旗を立て、地口行灯を立て、世話人が赤飯を蒸して、町内の子供たちや参詣人に配った。子供たちは、太鼓をたたき町内を回り、各家から菓子などをもらって歩いた。そんなお稲荷さんの初午は、昭和初期まで残っていた。
一般財団法人 六行会
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最寄駅は、京浜急行本線「新馬場」駅。荏原神社の裏手(西側)にあります。
MAP
東京都品川区北品川2丁目32−3