五社稲荷神社(鎌倉市岩瀬)

2021.09.23[ 神社 ]

五社稲荷神社(鎌倉市岩瀬)

鎌倉時代初期創建・佐竹氏の旧臣・岩瀬氏によって創建された神社 五社稲荷神社(鎌倉市岩瀬)

佐竹氏の旧臣・岩瀬氏によって創建された「五社稲荷神社(鎌倉市岩瀬)」。

建久年間に、源頼朝の家臣でありかつて佐竹氏の旧臣だった岩瀬与一太郎義正によって創建されたのが起源と伝わっています。五柱の神様を祀っていることからかつては「五社神社」「五所の宮」「五所明神」等とも呼ばれていたと云います。

境内にある「五社稲荷神社略記」の由緒には、以下のように記されています。

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建久年間(一一九〇〜一一九八)源頼朝の随身一騎奉行である岩瀬与一太郎義正が当地に居住せし時、五穀豊穣と安寧を願って創建、江戸期には鶴岡職掌、坂井越後が神職を兼ねていたと「相模風土記」にある。岩瀬氏は、常陸国奥七郡を支配していた佐竹孝義の嫡男、義政の近習で常陸国那珂郡大宮郷岩瀬(現、常陸大宮市上岩瀬)の岩瀬城城主であったが「吾妻鏡」によると治承四年(一一八〇)十一月、源頼朝による佐竹氏攻めの際、常陸国府中手前大矢橋(現、花園川にかかる大谷橋)で捕えられ、常陸国府中(現、石岡市)の頼朝本陣にて見参した際、頼朝に諫言し、その武勇を認められ家人となり当地に居を構えたと伝わっている。
その後天明二年(一七七二)旗本、木原家名主、栗田源左衛門政春等により百一両を投じて再建されたことが、棟札、古文書に記されている。天明の飢饉の折、御神威の発揚で飢饉を乗り越え民心を引き締め、神社では粥を張る舞い、村内の被害はわずかに終わり、これも五社明神のおかげと益々崇敬されたと伝わる。
明治六年村社に列し、昭和四十六年屋根銅板葺替工事、昭和五十六年~六十二年、神社本庁振興対策指定の折、社殿一部改修、手水舎新築等行い、平成十二年神輿の再建、平成二十年社務所の改築を行った。

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御祭神は、倉稲魂神・保食神・大己貴神・太田神・大宮能姫命。

最寄駅は、JR根岸線「本郷台」駅。徒歩約15分ほど。

県道沿いにある案内板。鎌倉女子大学の幼稚部と初等部の間の道を入って神社へ向かいます。

神社外観。

「五社稲荷神社略記」。

拝殿。

境内社の平島弁天社。1797年(寛政9年)江の島神社の御分霊を奉斎して創建されたもの。

拝殿前の狛犬。

MAP

神奈川県鎌倉市岩瀬1399

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