正一位宝徳子育稲荷大明神

2020.02.01[ 神社 ]

旧大崎村字原の鎮護のために創建されたお稲荷さま 正一位宝徳子育稲荷大明神

旧大崎村字原の鎮護のために創建された「正一位宝徳子育稲荷大明神」。

江戸末期の安政年間に、京都伏見稲荷より御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。

祠の脇にある御由緒には、以下のように記されています。

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正一位宝徳子育稲荷大明神御由緒

當所に御鎮座の正一位宝徳子育稲荷大明神は、安政年間に大崎村字原の地を鎮護するため、附近住民が集い、齋藤藤兵衛が総代となり、京都伏見稲荷を勧請し御鎮座された。
それより幾星霜、明治末期より大正の初期には附近子供達多数が御神恩に導かれ、御社殿の周圍に集い遊び親達も又、子弟の健康はもとより、智徳の習熟を祈ったといわれ、當時の初午祭には、露店多数、見世物の小屋が架設される賑いを見せたと傳う。又、當社に守護された総代齋藤家の本家は、蕎麦屋「いなりや」を営み、大変繁盛したと傳えられる。
此の度、當地は高層住宅の建設により藤兵衛の裔、齋藤庄五郎が発起人となり、他、世話人とともに、この神域を残し社殿を再建するに到った。
この地を護り、家内安全、事業繁栄、子弟の進学等勉学を祈って御神徳あらたかなる御當社を永く御信仰あらんことを。

昭和六十三年初午に當り
発起人 齋藤庄五郎

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最寄駅は、東急池上線「戸越銀座」駅、あるいは「大崎広小路」駅。

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