榛稲荷神社(墨田区両国)

2024.12.24[ 神社 ]

榛稲荷神社(墨田区両国)

榛馬場にお祀りされていた小祠が起源 榛稲荷神社(墨田区両国)

本所・榛馬場にお祀りされていた小祠が起源と伝わる「榛稲荷神社(墨田区両国)」。

創建年代は不明ですが、江戸時代この地にあった「榛馬場」(はんのきばば)の傍にお祀りされていた小祠が起源だと伝わっています。

『榛稲荷神社』と刻まれた石碑には、以下のように記されています。

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古く此の地一帯を榛馬場と稱し此神祠を榛稲荷社と稱し奉れり
関東大震災の折り社殿並に其の榛樹炎上焼失す 神殿復興起工の際旧蹟地より古碑を發掘す
碑文に
和銅二年
總国當亀澤村
亀澤稲荷神社
とあり往昔斯く奉稱せしも後或は榛稲荷神社と稱 奉れるものなる
大東亜戦争必勝を祈願し奉り東京都の實現を紀念すると共に其の事由を後世に傳へむと敬神講員一同相議りて之れを建つ

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また境内にある、墨田区による案内板『榛馬場跡』には、以下のように記されています。

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この辺りには、榛馬場と呼ばれた馬場がありました。本所に住む武士の弓馬の稽古のために設けられ、周りを囲む土手に大きな榛(カバノキ科の落葉高木)があったところから、そう呼ばれたようです。
勝海舟の父小吉の著書『夢酔独言』の中にも、子どものころの回想として、榛馬場のことが出ています。馬場の傍らに祀られていたのが、この榛稲荷神社です。
天保八年(一八三七)に亀沢町の若者が奉納した木造朱漆の奉紙立が、震災、戦災を逃れて今でも保存されています。
葛飾北斎も娘のお栄といっしょに稲荷神社脇に住んでいたことがあります。

墨田区

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この馬場は、東西約185m、南北約22mの広さがあったそうです。

最寄駅は、都営地下鉄大江戸線「両国」駅。JR総武本線「両国」駅からだと、徒歩約5分ほど。

神社外観。

境内の鳥居。

御由緒の刻まれた石碑。

鳥居の扁額。

社殿。

檻の中の?お狐様。

MAP

東京都墨田区両国4丁目34

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