長後天満宮(藤沢市長後)

2023.07.28[ 神社 ]

渋谷氏の居城にお祀りされた天満宮が起源 長後天満宮(藤沢市長後)

渋谷氏の居城にお祀りされた天満宮が起源と伝わる「長後天満宮(藤沢市長後)」。

平武綱の子・河崎基家(秩父基家/渋谷重国の祖父)がこの地を拝領し城館を構えた際に、館内に守護神として祀った天満宮が起源だと伝わっています。1189年(文治5年)に渋谷重国が源頼朝を迎え酒宴を開いたのもこの辺りだったと云われています。

境内に掲げられている御由緒板には、御由緒について以下のように記されています。

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鳥羽帝永久三年渋谷重国の祖父秩父六郎基家が此の地に築城し城内に廟を建立し菅公を崇祀して天満宮と称した 建保元年渋谷氏は和田義盛の乱に興して滅亡し更に戦国時代を経て廟も亦頺廃したと言われる
天正十八年徳川氏の版図となるや徳川氏は長後を二分し下長後地区を旗本浅岡氏の知行地となし天満宮の神域も亦朝岡氏の知行地となる 朝岡氏は直ちに村内の鎮守天満宮の神殿を造営し其の後もしばしば社殿を再建し特に天明七年九月宮廟を再興し山王脇鎮座の山王権現(大山咋命)と伊勢山鎮座の神明宮(天照大神)を合祀した 朝岡氏は明治維新まで世襲的に下長後村を知行し天満宮の維持に就いては積極的であり信仰厚かりし由なり
明治元年九月上長後下長後を合併して長後村となり天満宮は村社に列し長後総鎮守となる 昭和七年指定村社となり神饌幣帛料を供進せらる
昭和五十三年社廟を修復し同五十七年拝殿を改築した

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御祭神は、菅原道真・天照大神・大山咋命。

現在は綾瀬の五社神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、小田急江ノ島線「長後」駅。徒歩約10〜15分ほど。

神社外観。

神社入口。鳥居と社標が見えます。

入口の狛犬。

一ノ鳥居と、その先に見えるニノ鳥居。

境内の鐘楼。

拝殿。

拝殿の扁額。

御由緒板。

MAP

神奈川県藤沢市長後1412

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