穴守稲荷神社

2017.03.06[ 神社 ]

穴守稲荷神社

開墾当時の羽田エリアを守ったパワー絶大なお稲荷様 穴守稲荷神社

江戸時代後期、新田開墾に際し、堤防の決壊でしばしば海水による多大な被害があった羽田地区。村民(一説によれば開墾を担当した鈴木弥五右衛門)が堤防の上に祠をつくったところ、その後は堤防が決壊することもなく豊作になったと云われ、「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」として崇められてきた歴史があります。これが「穴守」の起源で、かつてその場所は「羽田穴守町」と呼ばれていました。

その名称から、江戸時代には遊郭の女性から篤い信仰を得ていたと言われています。また明治期には温泉が湧き、鉄道も開通して東京きっての観光地となったそう。

しかし終戦により進駐軍により強制退去されられることに。社殿等は進駐軍によって取り壊されたのですが、地元の有志の寄進によって現在地に遷座。今でも地域の方々に愛されていることが伝わる町並みと合わせ、戦後に再興したとは思えない、とても良い雰囲気の中に佇む神社です。周辺は、「東京」らしくない、と言ったら語弊があるでしょうか?なんともノスタルジックな気分になれる場所です。

御祭神は豊受姫命。

進駐軍による取り壊しについてはいろいろあるのですが、、それはまた別の頁で。

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