阿久和熊野神社(横浜市瀬谷区阿久和東)

2023.07.04[ 神社 ]

瀬谷区内最古の神社 阿久和熊野神社(横浜市瀬谷区阿久和東)

瀬谷区最古の神社と伝わる「阿久和熊野神社(横浜市瀬谷区阿久和東)」。

平安時代の安和年間(968年〜970年)、この地の森を「天神地祇の御座所」と敬い、伐採を禁じ、信仰の中心として奉ってきたといい、これを神社の起源として「瀬谷区最古」だと云われているようです。江戸時代には旗本安藤氏により社殿の整備が行われました。

神社頒布の「参拝のしおり」内の「由緒概要」には、以下のように記されています。

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瀬谷区内最古の神社で、平安時代人皇第六十三代冷泉天皇の安和年間(968〜970)頃、当地域の人々は鬱蒼たる森を「天神地祇の御座所」と敬い、伐採を禁じ、信仰の中心として神聖を保ってきた。
弘和の頃(1381〜1384)神に捧げるものを雨露から防ぐために四本柱の小屋を作り、諾冉二神を祀った。後世次第に祠を整えると共に、傍に草屋を設け、少年が交代宿直して神事を勤めつつ心身を鍛錬したという。古代信仰の古態を伝える稀有の例である。
その後、戦国時代の永禄年間(1558〜1570)の頃、小田原北条氏の家臣増田駿河守満榮によって社の再建が行われ、更に徳川家康の関東移封に伴い、阿久和を知行した直参旗本安藤冶右衛門定喬は社事に率先し、社頭も整備したと言う。同時代、氏子による鳥居、灯籠の奉納や献供などされている。
明治六年十二月(1873)に村社に列せられ、明治四十一年(1908)一月十六日境内周囲風致林に御料局より払下げの通達あり、昭和十八年(1943)九月神饌幣帛供進指定社に列せられる。
昭和二十九年(1954)二月十八日宗教法人熊野神社として法人登録され今日に至っている。
昭和四十七年(1972)、本殿建立百年記念事業を行った。

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御祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命・諺坂姫命。

現在は金沢の富岡八幡宮の兼務社となっているようです。

最寄駅は、相模鉄道本線「希望ヶ丘」駅。

神社外観。

正面の鳥居と社標。

石段の上、少し進むと両部鳥居があり、その先に拝殿が見えます。

拝殿。

拝殿前の狛犬。

境内社。

MAP

神奈川県横浜市瀬谷区阿久和東4-7-1

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