六ツ塚(横浜市旭区鶴ケ峰本町)

2026.02.18[ 史跡・公園等 ]

六ツ塚(横浜市旭区鶴ケ峰本町)

畠山重忠一族を葬った場所 六ツ塚(横浜市旭区鶴ケ峰本町)

畠山重忠一族を葬った場所と伝えられている「六ツ塚(横浜市旭区鶴ケ峰本町)」。

いわゆる「畠山重忠の乱」の二俣川合戦において、出迎えた北条軍は数千騎とも数万騎とも。それに対し畠山重忠一族は134騎。それでも畠山軍は奮闘しますが、4時間に及ぶ激闘の末、畠山重忠は愛甲季隆の放った矢に討たれ戦死。それを知った臣下は自害したと云います。そして畠山重忠を含む134名の遺骸を埋めたとされるのが、こちらの六ツ塚。

今回、薬王寺の外にある3つの塚を訪問したのですが、残りの3つは薬王寺の境内にあるそう。

薬王寺に掲げられている案内板には、以下のように記されています。

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六ツ塚

おおよそ乱世には学問道義は衰えるが畠山重忠公は智仁勇の三徳を兼備えた武将で今なお親み慕われている。
その時鎌倉北条時政から急ぎ鎌倉に出頭せよの命に接した公は菅谷の館(現埼玉県比企郡)を六月十九日発し鶴ヶ峰にさしかかるや雲霞の如き数万騎は、ここ霊堂の前方帷子川を越えた彼方の台地(万騎が原)方面から突然攻め寄った。公は策にかかったとは知ったが、武士として決戦を覚悟した。この時、公の重臣らは一度菅谷の館に引き返し軍を整えて鎌倉方を待たるるよう進言したが、公は毅然としてしかすれば我に陰謀があったと無実が事実となり永久に汚名を着ると諭した上、午の刻(正午)より数時間にわたる激戦のはて愛甲三郎季隆の矢に当り遂に一族郎党百三十四騎とともに玉砕した。

時は元久二年六月二十二日(一二〇五年。今より七六八年前)公は四十二才。この地に主従一同と六ヶ所に葬り代々伝えて六ッ塚と言う。

昭和四十八年六月二十二日

旭区役所
旭区観光協会

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最寄駅は、相模鉄道本線「鶴ヶ峰」駅。

こちらが薬王寺。元からここにあったのではなく、昭和初期に畠山重忠を顕彰する運動があった際に廃寺となっていたお寺を六ツ塚慰霊のために移設したものなのだそう。

六ツ塚の案内板。

薬王寺の右手に、3つの塚があります。

3つの塚があるエリアの中の様子。

塚の様子。晩秋だったためこのような見た目ですが、暖かい時期には緑(草)で覆われているようです。

MAP

神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町2丁目15−9

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