鞍掛の松公園
2021.01.24[ 史跡・公園等 ]
新田義貞の逸話を今に伝える「鞍掛の松公園」。
元弘の乱において挙兵した新田義貞が、分倍河原の合戦で勝利した後、鎌倉入りする前にこの地で休息をとったと伝えられており、その際に馬の蔵を掛けた松が「鞍掛の松」と呼ばれるようになり、やがてこの地の名称も鞍掛となったと云われています。
公園内にある石碑には、以下のように記されています。
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「鞍掛の松」の由来
むかし、このあたりに鞍掛の松と呼ばれる松の大木があったと伝えられている。
元弘三年(一三三三)五月、上野国(群馬県)で挙兵、鎌倉攻めに向かった新田義貞は分倍河原(府中市)において北条泰家と合戦、これに大勝し、その夜(五月一六日と思われる)当地で軍勢を休め、翌一七日、一気に藤沢へ攻め入ったとされている。その際義貞が馬の蔵を掛けた松が後世に残り、鞍掛の松と呼ばれるようになりやがてこの付近の地名も鞍掛といわれるようになったと言う。
この周辺の地は、町田川(恩田川)沿いに開かれた広い窪地がつづき、この丘に登ると十六夜の月が一晩中あたりを照らし、鎌倉を目前にした義貞の大群はわずかな物見の兵でも安心して休むことができ、大いに鋭気を養えたものと思われる。
平成十六年(二〇〇四)三月 町田市
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公園の前の細い道はかつての鎌倉街道。公園内にも「鎌倉古道」と書かれた碑が建てられています。石碑の文章にもある通り、恩田川側は素晴らしい眺望が広がっています。それにしても「古道」って、尾根道であることが多いですね。素人的・現代人的には、川沿いの方が多くの人の往来が可能なので向いている気がするのですが、かつては川沿いは(治水対策がなされていないので)「安定した道」には不向きだったのかもしれません。
最寄駅は、JR横浜線「町田」駅、あるいは「成瀬」駅。どちらからも徒歩だと30分はかかると思います。
「鞍掛の松の由来」が書かれている石碑。
こちらが、旧鎌倉街道。
公園の入口には「鎌倉古道」と書かれた石碑が。