江戸城喰違見附跡
2019.11.02[ 史跡・公園等 ]
江戸城外濠の中で最も高い場所にある「江戸城喰違見附跡」。四谷見附と赤坂見附の間に位置しています。
1612年(慶長17年)、小幡景憲によって造られた、虎口構造の見附。その後1636年(寛永13年)に讃岐国丸亀藩主の生駒高俊によって再整備されました。高台に位置することから、江戸城の西側の防衛において重要な役割を持っていたと思われます。
南側にある案内板には、以下のように記されています。
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左手の喰違見附跡は、江戸時代初期の慶長17年(1612)に甲州流兵学者の小幡景憲によって縄張りされたと伝わる、江戸城外郭門のひとつです。通常江戸城の城門は枡形門と呼ばれる石垣を巡らしたものとなりますが、ここは土塁を前後に延ばして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(城の出入口)構造となります。
この地域は、二つの谷に挟まれた、江戸城外堀の中では最も高い地形に立地するため、寛永13年(1636)築造の江戸城外郭門に先駆けて、江戸城防御の要として構築されたと考えられます。現在は一部土塁が削り取られているものの、その形状は保存されており、往時の様子を留めています。この遺構は江戸城築城史を捉える意味で重要です。
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この門の北側にあった真田濠は、現在は埋め立てられ、上智大学のグラウンドになっています(南側の弁慶濠は一部を除き現存しています)。
最寄駅は、東京メトロ各線「赤坂見附」駅、あるいはJR中央線・東京メトロ各線「四ツ谷」駅。
通りの南側にある案内板。もっとも、この案内板がなければ、ここに見附(城門)があったとはわからないほど、何も残っていません。。
紀尾井ホール/ホテルニューオータニ側からの景色。外濠の先は、現在は赤坂御用地。この一帯は、都心とは思えないほど緑豊かな空間が広がっています。