本田地蔵尊
2018.10.17[ 史跡・公園等 ]
『風邪の守り神』として、地元の方々に信仰されているお地蔵さま
本田地蔵尊
『風邪の守り神』として、地元の方々に信仰されているお地蔵さま「本田地蔵尊」。
「本田地蔵尊の由来」という案内板には、以下のように書かれています。
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江戸時代(1772〜1780)安永の頃のある日、京都伏見方面からか、、巡礼姿の母娘がこの村にたどり着いた。
娘は身重で無理な旅から哀れにも死産をした。
村人達は哀れに思い、赤ん坊を弔い、藤の木を目印に植えた。
そのうえ、娘も激しい疲れと死産のショックで子供の後を追うように死んでしまった。
たび重なる不幸にうちひしがれた老婆は、やがて独りさみしく村を去っていった。
数年後、「この村の人々の温情が忘れられない。ご恩に報いたい。わが身をいけにえにして村の安全を守る。死んだら地蔵にして娘のそばに置いて下さい!」と、言い残して死んだ。
その頃、関東一円に悪い風邪が流行したが、不思議なことに村人は一人も風邪をひかず「これも老婆のおかげ」と感謝を込めて地蔵尊をまつった。
これが本田婆さんのお地蔵さんである。
こうしてお地蔵さんは”風邪の守り神”として、広く信仰されている。
※お地蔵さんのある所は、昔本田耕地といわれたところから、この名がつけられた。毎年3月27日には、近所の人や信者の人達によって供養のお経とお題目会が行われます。尚、現在のお堂は昭和46年ご近所の人たちの協力で完成されたものです。
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最寄駅は、JR南武線「矢向」駅。徒歩10分ほど。