江戸城日比谷見附跡

2019.11.11[ 史跡・公園等 ]

江戸城日比谷見附跡

日比谷公園に移築された日比谷御門の一部 江戸城日比谷見附跡

江戸城の内曲輪門のひとつ「江戸城日比谷見附跡」。江戸城三十六見附のひとつに数えらています。

1627年(寛永4年)に安芸広島藩の藩主・浅野長晟によって石垣が、1629年(寛永6年)陸奥国仙台藩の藩主・伊達政宗によって枡形門が造られました。

明治初期に取り壊されましたが、石垣の一部が現在の日比谷公園の中に移築されました。ちなみにもともと日比谷見附があった場所は、現在は日比谷交差点となっています。

石垣のそばには現在「心字池」と呼ばれる池がありますが、ここは江戸城のお濠(中濠)の一部を埋め立てずに残したもの。日比谷公園を設計した際に、意図的に残したのだそうです。あの時代にそういう配慮があったというのは、とても嬉しいことですね。

日比谷公園日比谷門。ここから入ってすぐのところにあります。

案内板には、以下のように記されています。

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日比谷見附跡
この石垣は、江戸城外郭城門の一つ、日比谷御門の一部です。
城の外側から順に、高麗門・枡形・渡櫓・番所が石垣でかこまれていましたが、石垣の一部だけが、ここに残っています。
当時、石垣の西側は濠となっていましたが、公園造成時の面影を偲び、心字池としました。

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見附跡の脇にある心字池。

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