矢之庫稲荷神社
2018.07.30[ 神社 ]
江戸幕府が設置した米蔵の守護神として祀られた「三社稲荷」が起源
矢之庫稲荷神社
江戸幕府が設置した米蔵の守護神として祀られた「三社稲荷」が起源と伝わる「矢之庫稲荷神社」。
1645年、現在の東日本橋1丁目あたりに江戸幕府が米倉を設置した際に、蔵の守護神として「谷野蔵稲荷」「福富稲荷」「新左衛門稲荷」を合祀した「三社稲荷神社」を創建したと云われています。この米蔵は1698年に鉄砲洲に移転し、神社もあわせて遷座したのですが、当地の住民が惜しんで三社稲荷を残したそう。
明治以降、「新左衛門稲荷」と「福富稲荷」は初音森神社に合祀され、「谷野蔵稲荷」は『幾多の変遷 場所を変え現在地にその社を構えるに至る』(境内掲示板より)ようになったとのこと。
もともとの「谷野蔵稲荷」にある「谷野」とは、米蔵が設置された当時のこの地の名称。その後当地は「矢ノ倉」と呼ばれていましたが、神社名の表記はいつの頃からか現在の「矢之庫」になったそうです。
御祭神は、宇賀魂命(と考えられ、と掲示板にあります)。
最寄駅は、都営地下鉄浅草線「東日本橋」駅。「江戸三大不動」のひとつ「薬研堀不動院」の裏手に鎮座しています。「薬研堀不動院手前のガソリンスタンドの、お不動さんの反対側」を目指していくと良いかも。
御由緒板。