正一位豊海稲荷大明神(横須賀市追浜東町

2023.06.12[ 神社 ]

正一位豊海稲荷大明神(横須賀市追浜東町)

追浜東町商店会通りの脇に鎮座している稲荷社 正一位豊海稲荷大明神(横須賀市追浜東町

追浜東町商店会通りの脇に鎮座している「正一位豊海稲荷大明神(横須賀市追浜東町)」。

詳しい創建年代は不明ですが、遅くとも江戸時代後期には既にこの地に鎮座していたものと思われます。そのお名前からすると、豊漁を祈願してお祀りされたのかもしれません。

境内にある『小学生の皆さん社会科の学習に読んでください。』で始まる文章には、以下のように記されています。

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正式名称は、正一位豊海稲荷大明神という。此処にお祀りされている祭神は倉稲魂神で五穀豊穣、商売繁盛の神として、昔は此の付近は海にも近く、恐らく豊漁、大漁についても祈られたことが想像される。赤い鳥居をくぐり階段を登ると、本宮の社前にいたる。お社のなかには、おみたまや古くは明治15年、16年昭和10年、36年の氏子代表の名前が木板に書かれていて奉納されている。
稲荷講が設立される前には、ご近所の方々が御社をお守りして、毎年2月の初午の日にお祭りをして下さいました。その頃は御社のまわりに篠竹にあか、きいろ、みどり、あお、しろ、と紙を長く貼りつけて、色々とお願いを書いて多くの子ども達が飾りつけて、お祭りをしてお菓子などを頂いてとても楽しくしていました。今は講中ができて、毎年2月11日にお稲荷講の初午祭りがおこなわれています。社の入り傍らに手水鉢がある。いわれが右の慶蔵院の項に有ります。稲荷社から奥の道を行くと右側崖面高さ地上から約三メートル程の位置に草に覆われた「やぐら」がある。摩崖五輪塔といって今は三基が残っている。そのうち二基の(やぐら)内に五輪塔が彫られている。調査によると、南北朝〜室町時代に造られた物といわれている。「摩崖五輪塔」は三浦半島では、数すくなく貴重な存在だと思われる。崖崩れがあり今は数が少ない。以上

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上記にある「慶蔵院」とは、雷電社(現在の雷神社)の別当を務めていたお寺(現在は廃寺)。江戸時代には、雨乞いの祈祷を行なった記録があるそうです(※結果、雨は降らず)。こちらの稲荷社もかつては慶蔵院持だったようです。

御祭神は、倉稲魂神。

最寄駅は、京浜急行本線「追浜」駅。徒歩約10分ほど。

外観。

正面の鳥居。

石段の下からの眺め。

社殿。

御由緒の書かれた案内板。

MAP

神奈川県横須賀市追浜東町3丁目41

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