十寄神社

2020.02.18[ 神社 ]

十寄神社

新田義興と共にこの地で憤死した武将を祀る神社 十寄神社

新田義興と共にこの地で憤死した武将を祀る「十寄神社」。

1358年(正平13年)、多摩川・矢口の渡しにて足利一門の畠山国清の策略により、新田義興とその一行は戦死しました。地元民が彼らの亡骸を丁重に葬り、祠を造って祀ったのが起源と伝えられています。

御祭神は、新田義興命・世良田右馬助義周命・井伊弾正左衛門直秀命・大嶋周防守義遠命・由良兵庫助命・由良新左衛門命・進藤孫六左衛門命・堺壱岐権守命・土肥三郎左衛門命・南瀬口六郎命・市河五郎命。主君義興と10名の家臣です(※実際にこの時亡くなった家臣の人数については諸説あります)。

かつては「十騎(じゅっき)明神」と呼ばれていたようですが、いつからか「十寄(とよせ)」と呼ばれるようになったそうです。

現在こちらの神社を兼務している「徳持神社」ホームページによると、『初めに十寄神社を参拝してから新田神社へお詣りすると願い事がかなうと云われ、江戸期には大いに栄えました』とあります。そうだったんですね、、私は最初に新田神社にお詣りしてからこちらを訪問しました。もしお詣りする前にこのブログを読んだ方は、順番を間違えないようご注意くださいませ。

最寄駅は、東急多摩川線「武蔵新田」駅。徒歩6分ほど。

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