白根神社(白根不動尊)

2020.12.30[ 神社 ]

源義家が崇敬していたと伝わる元お不動さま 白根神社(白根不動尊)

源義家・源頼朝の逸話が伝わる元お不動さま「白根神社(白根不動尊)」。

創建年代は不明ですが、浄土宗白瀧山成願寺と称し、本尊は弘法大師の作と云われる不動明王像で、源義家がこの不動尊を深く信仰し、「前九年の役」において兜の中に不動尊の像を納めて出陣したところ、勝利したと云われています。また1180年(治承4年)には、鎌倉入りした源頼朝が、境内の池で身を浄め勝利を祈願したとも伝わっています。

東側の鳥居の側の案内板には、以下のように記されています。

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社伝によると、『前九年の役(1053〜1062)の際、八幡太郎源義家は兜の中に不動明王坐像(坐長1寸7分伝弘法大師作)を納め奥州に向い勝利を上げたことにより、康平6年(1063)鎌倉権五郎景政に命じて社殿を造立し、この坐像を祀った。これが不動堂の起源である。建久2年(1191)堂宇を再び造立したが、正慶年間(1332〜1333)新田義貞の鎌倉攻めの折、この辺りの社寺は全て烏有に帰した。その後、元禄7年(1694)に社殿を再建したが、大正8年(1919)火災で焼失し、即建立されたのが現在の社殿である』といいます。
不動堂の別当職白瀧山成願寺は明治初年廃寺となり白根神社となりましたが、神仏習合時代の仏教の影響が強く残り、”白根のお不動さん”として近郊近在の人々から親しまれています。戦前は、”雛市や幟市”が開かれにぎわいました。
境内には、巾7m、落差3.2mの”白糸の滝”があります。

社団法人横浜国際観光協会
横浜市教育委員会文化財課
平成3年3月

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江戸時代までは「白根不動尊」として広く知られていましたが、明治期の神仏分離令によって「白根神社」と改称されました。現在の御祭神は、日本武尊。

現在は旭鎮守八幡神社の兼務社となっているようです。周囲は住宅街なのですが、神社(白根不動尊)一帯だけは古くからの「杜」がしっかりと残されていて、とても趣のある境内です。

最寄駅は、相模鉄道本線「鶴ヶ峰」駅。徒歩10分ちょっと。

東側の鳥居。

開けた場所に出て、最初に目に入ってくるのは不動堂。

源頼朝が勝利を祈願し身を清めたと伝わる「白糸の滝」。

白糸の滝から先の長い登り坂を進むと、丘の上に白根神社が見えてきます。

白根神社拝殿。

御賽銭箱の下で、日向ぼっこしている猫たち。

こちらは境内にある「白瀧龍神」。

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