伊勢社(横浜市青葉区新石川)
2021.09.01[ 神社 ]
旧武蔵国都筑郡石川村中村・下谷の鎮守として祀られていた「伊勢社(横浜市青葉区新石川)」。一説には江戸時代初期の創建と云われています。
境内にある石碑の中の「由緒」には、以下のように記されています。
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伊勢社は旧石川の中村と下谷の二つの集落の谷戸宮である。江戸時代後期の地誌である「新編武蔵風土記稿」には「伊勢社、除地一段、村の東にあり、南に向ふ」とある。江戸時代初期の創建と言われるが、伝承では、この伊勢社は昔、中村に源内様という方がおられ、其の方の所有であったという。棟札が五枚残されている。一番最古のものは文字が消失している。年代順に示すと宝暦十二年(一七六二)天明八年(一七八八)天保十年(一八三九)そして新築される前の社と考えられる、明治十八年(一八八五)である。宝暦十二年のには「天下和順 日月満期 奉造立太神宮小社一宇所願成就修 導師別當万願寺□□惣氏子中石川大工當内仁兵衛」とある。氏子達は「天候の安定と豊作、そして穏やかな日常を祈願していた」。慶応二年の記録には下谷四十三戸中村二十五戸の寄進者が見える。最高は一両、平均は二分の寄進額、明治二十年の記録によれば、祭礼は九月二十日、氏子は八十八戸、神官は関戸良本となっている。明治初年の「神仏分離令」により保木の関戸氏が祭祀を努めるようになったのだろう。大正の頃から祭礼は四月三日となり今日に至っている。宵宮には中村で幟を立て、当日は神主を迎えて式典と直会を行なった。幟返しは下谷の役目だった。昭和五十一年五月に現社の新築がされてから、地元囃子連による囃子の奉納が行われるようになった。昭和五十四年二月十八日に新石川の街が誕生すると共に周辺は良好な住宅街となり人口は急増した。現在旧中村下谷の人口は約二万人余となり。その氏神として崇敬を集めている。
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御祭神は、大日孁尊。現在は驚神社の兼務社となっているようです。
周辺はたまプラーザ駅前の住宅地として開発されていますが、かつてはこの地域一番の高台(小山)に祀られていたようです。明治期の、現在のような開発が行われる前でも現在地に神社があったことが地図から確認できます。
最寄駅は、東急田園都市線「たまプラーザ」駅。徒歩5・6分ほど。
神社正面の鳥居。
鳥居の脇にある社標、
御由緒の刻まれた石碑。
拝殿。
境内の狛犬。
境内社の秋葉社。御神体は「烏天狗」なのだそう。
秋葉神社の脇にある石宮。おそらくこちらが、境内社の三峯神社。
MAP
神奈川県横浜市青葉区新石川2丁目11−7