下平間天満天神社
2020.05.07[ 神社 ]
菅原道真直系の子孫によって奉斎されたと伝わる「下平間天満天神社」。
創建年代は不明ですが、菅原道真直系の子孫によって創建されたと伝わっています。
境内にある「下平間天満天神社由来」碑には、以下のように記されています(一部抜粋)。
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当社の由来については、創立年代は不詳であるが「新編武蔵風土記稿」に、「当社は村の北方にあり、前に鳥居が立ち、社前に拝殿あり、神体は木の坐像にて長さ一尺二寸余、社辺に松樹数株あり。小倉村無量院の別当なり」と記されている。また、下平間の旧家に伝わる古文書(弘化三年記)によると、「武州多摩郡谷保村天神社伝記に、延喜三年二月二十五日父君菅原道真公筑紫にて薨去(五十九歳)なされたと聞き三男道武公悲嘆のあまり、父君の尊像を自ら模刻し孝道の誠を尽くされた。その後、道武公その尊像を供奉し、谷保村に来たり一社を草創しこれを安置した。こののち道武公当地縣主、上平貞盛の女を娶り一子を得、その子を菅原道英と号す。それより六世の孫津戸三郎為守、菅原道真公の尊像を供奉し、当地(下平間)に来住し一社を建立する。」と記されており、当初は一氏族の、氏神としての性格が強かったようでありますが、年月が経つにつて、下平間の鎮守として祀られるようになり村民の信仰を集め現在に至っている。
また、江戸時代の再建と思われる社殿は第二次世界大戦の末期、昭和二十年四月十五日の川崎大空襲によりことごとく焼失し、かっての面影はない。
しかし昭和四十年九月氏子の寄進により、現在の社殿が再建された。
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御祭神は、菅原道真公。
現在は上平間の八幡大神の兼務社となっているようです。
最寄駅は、JR南武線「鹿島田」駅。徒歩2・3分ほど。
鹿島田駅から続く通り沿いにある入口。
鳥居。
境内。
御由緒の刻まれた石碑。