世田谷八幡宮(世田谷区宮坂)
2021.12.10[ 神社 ]
源義家により創建されたと伝わる、旧世田谷村の鎮守神「世田谷八幡宮(世田谷区宮坂)」。
1091年(寛治5年)、源義家が宇佐八幡宮の御分霊を祀ったのが起源と伝わっています。その後世田谷吉良氏・吉良頼康の頃に社殿が整備され、江戸時代には世田谷村の鎮守となりました。またこちらで行われていた奉納相撲は、渋谷氷川神社、大井鹿嶋神社とともに「江戸郊外三大相撲」のひとつとして大いに賑わったと云われています。
境内に掲げられている『御由緒と歴史』には、以下のように記されています。
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八幡宮のご創建は、寛治5年(1091)源義家が欧州の地からの帰途、この世田谷の地にて豪雨にあい先に進めず、天気回復を待つため数十日間滞在する事となり、日頃より崇敬する宇佐の八幡大神をお祀りし、世田谷の里人達にご祭神を郷土の守り神として厚く信仰するようにと伝えた事が始まりと云われている。また、その時に部下たちに相撲(力比べ)を行った事が由来となり、江戸時代には「江戸三相撲」として、また現在も秋のお祭りにて奉納相撲が行われている。
その後、天文15年(1546)当時世田谷城城主であった吉良頼康により社殿を修築造営が行われ、備前雲次の太刀を一振り寄進したと云われている。
江戸時代になり徳川将軍である家康より社領十一石を寄進された。現在の境内地はおよそ四千坪となる。
明治時代には、一時期社名が郷社宇佐神社となるも、戦後、神社は国家管理より離れたため元来の世田谷八幡宮となった。
現在の社殿は、昭和39年に改築されたもので、本殿御扉の中には、文化10年(1813)に造られたといわれる木造の社殿(大場家文書より)が鎮まっている。
現在、八幡宮は世田谷の鎮守として多くの氏子崇敬者の人達に厚く信仰されている。
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御祭神は、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。
最寄駅は、東急電鉄世田谷線「宮の坂」駅。駅からすぐ。
神社正面の大鳥居。
二之鳥居。
二之鳥居の横にある境内社の厳島神社。
境内の土俵。
拝殿。
拝殿前の狛犬。
招魂社。
近隣に祀られていた神社が合祀されてできた、境内社の高良神社。
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MAP
東京都世田谷区宮坂1丁目26−2