大川町氷川神社(足立区千住大川町)
2025.07.29[ 神社 ]
江戸時代には千住五丁目の鎮守としてお祀りされていた「大川町氷川神社(足立区千住大川町)」。
1294年(永仁2年)に、川田耕地の鎮護として創建されたのが起源と伝わっています。江戸時代になり千住宿が整備されると、千住五丁目の鎮守としてお祀りされました。そして時は降り荒川放水路の建設に伴い、現在地に遷座しました。ちなみに旧社地は、現在の荒川の堤防付近。
御祭神は、素盞嗚尊・倉稲魂命。また現在は千住七福神のひとつとして「布袋尊」をお祀りしています。
最寄駅は、各線「北千住」駅。徒歩約15〜20分ほどでしょうか。。
正面からの神社外観。右側に社標が見えます。
参道の中ほどにある鳥居。
手水舎。
拝殿。
千住七福神「布袋尊」像。
境内社の浅間神社(富士塚)。足立区教育委員会による案内板『千住川田浅間神社冨士塚』には、以下のように記されています。
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富士塚は文政七年(一八二四)築造。祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。現在地に移築される以前は、町の西北(元宿)川田耕地に、氷川社、稲荷社、浅間社が同じ境内に鎮座していた。
明治四十四年荒川放水路開削工事開始に伴い、大正五年五月、現在地よりやや西側に移築された。その後、東京都の水道幹線工事のため、昭和四十三年六月現在地に移築復元され今日に至っている。
塚は、富士山の溶岩を積み上げ、固めて築造され、高さ約三メートルである。
山頂に、天保二年(一八三一)銘の石祠が安置されている。塔碑が多く、最古の碑は、文政七年(一八二四)のもので丸藤惣同行富士三十三度大願成就とある。
この講社は、高田(早稲田)の身禄同行の枝講で、講名を、丸藤千住十三夜同行と呼ぶ。講中は、千住五丁目と、千住大川町全域に及び、かっては、対岸の埼玉県を含む広範囲な地域の農民中心の講社であった。
毎年七月一日祭礼が行われる。
平成六年三月
東京都足立区教育委員会
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富士塚を横から。
MAP
東京都足立区千住大川町12−3