千住本氷川神社(足立区千住)

2025.07.22[ 神社 ]

下総千葉氏によって創建された氷川社が起源 千住本氷川神社(足立区千住)

鎌倉時代に下総千葉氏によって創建された氷川社が起源の「千住本氷川神社(足立区千住)」。

1307年(徳治2年)、下総国の千葉氏が牛田(現在の千住曙町)に創建した氷川社(牛田氷川神社)が起源と伝わっています。

その後江戸時代初期に牛田氷川神社の分社が現在地に建立。これが直接的には現在の千住本氷川神社の創建と言えます。そして1910年(明治43年)に荒川放水路の建設に伴い牛田氷川神社をこの分社に合祀、現在に至っています。

御祭神は、素盞嗚尊。また現在は「千住七福神」のひとつとして、大黒天をお祀りしています。

最寄駅は、各線「北千住」駅。徒歩約5・6分ほど。

神社外観。

入口の鳥居。

鳥居をくぐって正面にあるのは、旧社殿。足立区教育委員会による案内板『千住本氷川神社旧社殿』には、以下のように記されています。

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千住本氷川神社は、徳治二年(一三〇七)に千葉氏によって、牛田に千葉山西光院と共に、水川神社として創建されたという。
千住が宿場町として栄え始めた江戸時代の初期、現在地に地主の土地奉納によって分社が建てられた。その後、明治四十三年(一九一〇)荒川放水路建設のため、牛田氷川神社を合祀し、さらに昭和四十五年に社殿を新築したため、旧社殿は未社として保存されている。
旧社殿向拝は、千鳥破風、その前面が唐破風となり、二重の破風を形成し、頭貫や虹梁の部分には、龍や鳥類の彫刻が目立っている。本殿は方一間(ー・ハメートル)余りの木造で、切妻造りの平入り形式をなし、屋根は箱棟こけらぶきで、勾配が美しい曲線を呈している。軒回りは二重棰となり、組物も巧緻で処々に彫刻が施され、趣きのある社殿である。

平成六年三月
東京都足立区教育委員会

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現在は境内末社として、三峯神社・久須志神社・大黒天(千住七福神)が祀られています。

旧社殿の隣にある、境内社の三精稲荷神社。

現在の拝殿は、境内の右奥にあります。

拝殿前の狛犬。

MAP

東京都足立区千住3丁目22

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